6日目
ドナウベント
エステルゴム
イシュトバーン大聖堂
ハンガリー建国の地
ドナウベントとは 英語で「ドナウの屈曲部」という意味で、ハンガリーでは「ドナウのひざ」と言われ、ちょうどドナウベント地方でドナウ川が大きくカーブしています。
ブダペストからドナウ側沿いに北上するところにあるのですが、私達はウィーンから南下してきました。
まずエステルゴムに到着です。
ここはハンガリー王朝の出発点で、10世紀後半キリスト教を導入する政策をとったマジャール人の大首長のイシュトヴァーンがローマ教皇から王冠を授かる載冠式を挙げ、ハンガリー王国初代の王となったところです。
現在もハンガリー・カトリックの中心地です。
オーストリアからハンガリーの国境までおよそ1時間です。
ハンガリーの国境は写真に撮らないように言われ、またここではバスを止め、ハンガリーの係員がバスに乗り込んでパスポートにスタンプを押してくれました。ハンガリー共和国を表す「H」が押してあります。
左下の写真はオーストリア側で沢山の風車が並んでいました。
右下は国境を越えてまもなく標識があり、私達は下のエステルゴムに向かいます。
こちらハンガリーも平原で山が見えません、家並みがオーストリアとは大きく変わりました。
家は小さく、窓も狭く、質素で素朴な感じがします、この辺はのどかな田舎という感じです。(右下2つ目)
中欧でも、ずっと東欧に近づいた感じで、身長も低く、顔つきもアジア風な方も多く、親しみを感じます。
やはりマジャール人が95%を占めています、そして人名は正式に表記した際に姓が名の前につくところが、ヨーロッパで唯一日本と共通しています。(笑)
右上は道路と平行して水量豊かなドナウ川が流れています、周りの木立はねむの木で綿毛の種が風に乗って舞散るという光景の中、バスは進みます。
ドナウ川はウィーンでも流れていましたが、ドイツ南部の森林地帯「シュヴァルツヴァルト(黒い森)」から南東方向に流れ、東欧各国を含む10ヶ国を通って黒海に注ぐ全長は2,850 kmもある河です。
また、ヴォルガ川に次いでヨーロッパで2番目に長い大河です。
水量も多く、平原なだけに流れも緩やかで、「たゆたう」という感じを受けます。(笑)
また、ヨーロッパでは「父なるライン、母なるドナウ」と言うそうですが、何かわかる気がします。(笑)
大聖堂
マリア像
ガイドさんの話では、エステルゴムの街にはスズキ自動車の会社があるそうで、日本人には好意的だそうです。
緑色の屋根(屋外の部分)のレストランの横の石段を登ると、一番上の写真の大聖堂と古代ギリシャ風の列柱が芝生越え前方にそびえ建っています。
16世紀にオスマントルコの襲撃により破壊され、1822年から50年の歳月を経て再建されました。
ドームの高さは72m、直径54mだそうです。
祭壇
パイプオルガン
主祭壇の絵はベニスの画家ミケランジェロ・グレゴレッティ作の「聖母マリアの昇天」です。
1枚のキャンパス画としては世界最大だそうで、圧巻です。
右上の写真はハンガリーで一番大きなパイプオルガンだそうです
ドナウ川向こうはスロバキヤ
マーリア・ヴァレーリァ橋
大聖堂の裏手の見晴台からの展望です、川向こうはスロバキアです、川が国境ということです。
ちなみにハンガリーは北海道の1・2倍の大きさで楕円形をしていて、7つの国と国境を接しています。
この川に掛かるマーリア・ヴァレーリァ橋は、第2次世界大戦で1944年ナチス・ドイツの撤退の際、ドナウ川に掛かる多くの橋同様に破壊されました。
戦後共産時代に、再建話が出ながら立ち消え、1989年体制崩壊後の両国の関係悪化があったのを乗り越え、2001年にEUの援助を受けて復旧工事が終了し、今では歩いて国境を渡ることが出来るようになりました。
ヴィシェグラードの要塞(かつては城)
上の図を見ると、西から東に向かって流れている川がエステルゴムから向きを変えはじめセンテンドレでは完全に南向きになっています、この辺の総称をドナウベントと言うのですが、そして「ひざ」というのも納得です。(笑)
90℃の角度で曲がっているのが眺められる景勝地が、ヴィシェグラードだそうです。
ビィシェグラード(高い城)は13世紀中頃から王宮が築かれ、マーチャーシュ王の15世紀には「地上の楽園」と呼ばれるほど栄華を誇っていたそうです。
16世紀からのオスマン・トルコの支配によって破壊され、20世紀にはいるまで一切は土に埋もれていたそうです。
その間川を往来する船の監視をするために造られ、その後要塞になりましたが、私達はバスから降りて眺めるだけでした。
センテンドレ
14世紀にバルカン半島からトルコの侵略を逃れてやってきたセルビア商人が築いた町です。
17世紀になってオスマン・トルコから逃れてきたセルビア人と、ダルマチア人、ギリシア人も大挙して移民してきました。
これらの人々が信仰する東方正教会が、この町に独特の雰囲気を作り、彼らの多くは手職人や商人たちで、町に独自の文化、習慣、建築様式を残します。
20世紀になると、多くの芸術家たちが
移り住み、そのため、ここにはたくさんの美術館・博物館があり、この小さい町に七軒の教会と 14の博物館と芸術館が密集しています。
ブラゴヴェシュテンスカ教会
セルビア教会
石畳の道の両側はお店です
石畳の広がる中世のおとぎの国のようにかわいい町です。
刺繍のお店
ハンガリーの名産品の唐辛子のお店
町の中心地の広場です
中央広場の真ん中にあるのはペスト記念塔
右上の写真は建物と建物の間にある小路です。
人がやっと一人通ることができますが、上に登る近道になっています、とても趣があり、思わず撮ってしまいました。(笑)
上に登るとドナウ川が見えます、ドナウ川の氾濫を恐れて人々はこの高地(余りない)に町を造ったそうです。
本当に可愛いお店が多く、上のレストランは私達が食事をしたお店です。刺繍のお店も多かったですね。
ハンガリーの誇る陶磁器メーカー「ヘレンド」の工場直営店がここにあります。1826年にヘレンドという小さな村で生まれ、“ウィーンのバラ”、“ロスチャイルド・バード”などが描かれた模様は有名です。
またハンガリーを代表する女流陶芸家コウ゛ァーチ・マルギットのテラコッタの美術館があります。
昼食
野菜たっぷりのスープ
魚のムニエル
デザート
ブダペストへ
センテンドレの見学を終え、バスはブタペストへ南下します、1時間30分でドナウ川沿いにあるホテルに到着です。
ヨーロッパは8時ごろまで明るいので見学時間が長くなり、いつも夕飯は夜です。
今日は早々とホテル着ですが、このホテルがハンガリーでもっとも有名でポピュラーなゲッレールト温泉(SPA)でした。
客室から専用エレベーターでガウンのまま行けるという日本人には嬉しいホテルで、先にSPAで疲れをとってから再集合して、レストランへ向かうということでした。
私達はお風呂に入ると、それこそ疲れてしまうのでやめましたが、SPA後ドレスアップの紳士淑女も多かったです。(笑)
夕飯
ハンガリーの民族舞踊と音楽を鑑賞しながら、グヤーシュ(ハンガリーの家庭料理でハンガリー風ビ−フシチュー)を頂きました。
ワインの貯蔵庫のようなレストラン
こんな容器でワインを注いでくれます
、
民族衣装でダンスや楽器演奏やショーもありました
スープ
サラダというより酢漬け
グヤーシュ
ホテル(ゲッレールト)
各部屋ごとに趣が違うそうです
落ち着いた雰囲気
カードキーが多い中、ホテル・ゲッレールトとあるキー
そして、ホテルで食事をとらないのは、外のレストランの方が安くつくからです。(笑)
本当にラッキーだったのは、この日になって急遽宿泊ホテルが変更になり、このホテル・ゲッレールトになったことです。
また昨日、今まで行方不明になっていたトランク3個が、無事到着しました、乗り換え空港のフランスで引き取り手がないと日本へ戻り、すでに1往復して届いたそうです。
Czech、 Austria & Hungary Czech、 Austria & Hungary Czech、 Austria & Hungary 2006・5・24〜6・1
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