王宮 |
13世紀に創建されて以来、度重なる戦火により、最築を繰り返し、16世紀にはトルコ軍に破壊され、1699年ハプスブルグ帝国がトルコ軍を敗し、全ハンガリーはハプスブルグ家の支配下におかれます。
1867年オーストリア・ハンガリー二重帝国が成立。
この時代にブダとペストとオーブダが統合されブダペストとなりました。
ヨーロッパを旅行すると、その歴史に必ずハプスブルグ家の名前が出てくるので、いかに強大な権力を持っていたか窺い知ることができます。
また、ガイドさんから、「ブタではなくブダですよ。」(Budapest)と何度も注意を受けましたが、ブダときて次はぺストですから言い難いですね、(笑)もっとも現地ではブダペシュトと聞こえるので、このほうが言いやすいです。 |
1918年ハプスブルグ帝国が崩壊し、ハンガリーは独立します、そしてまたここから苦難が続きます。
第二次世界大戦ではドイツ側につき、ブタペストはソ連とドイツ軍の戦場になり、終戦後はソ連の監視下に置かれて社会主義なりますが、ソ連崩壊後の1989年ハンガリー共和国が誕生しました。
漁夫の砦 |
漁夫の砦 |
ペスト地区の素晴らしい眺め |
バスを降りて、漁夫の砦(左上の写真)を階段で登ります。
この地にやってきたマジャール人が7つの部族で構成されていたことから、砦に7つの尖塔が建っています。
また名前の由来は、元々この場所にドナウ川の漁業市場があり、また魚師が街を守っていたという説もあるそうです。(笑)
素晴らしい光景が目の前に展開します、この壁の上に見晴台がありドナウ川と川向こうの国会議事堂の景色を眺める事ができます。(写真左上下で、ちょこちょこ上に見えているのは見学者です)
右上の写真は今はカフェテラスのようになっていてお茶を飲みながら夜景を見ることの出来る最高のビュースポットですが、以前は砲台が置かれていた場所です。 |
イシュトヴァーンの騎馬像 |
王宮の生々しい弾痕跡 |
左上の写真は城壁の中央にハンガリー建国の祖・ハンガリー初代王のイシュトヴァーンの騎馬像があります。
右上の写真は王宮の壁ですが、その壁に第2次大戦時の銃撃戦の跡が生々しく残っています。 |
マーチャーシュ教会 |
マーチャーシュ教会
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歴代の王の載冠式が行われた教会です。
ロマネスク様式の教会を15世紀マーチャーシュ王がゴシック様式の建物に造り替え、現在の形になったそうです。
正しくは聖母マリア教会というそうですが、それ以降マーチャーシュと呼ばれるようになり、トルコ軍の侵攻の時代はモスクとして使われていました。
その後ハプスブルグ家が支配し、オーストリア・ハンガリー二重帝国となり、ヨーゼフ1世とエリザベート皇后の載冠式が行われた教会で、その時、リストが「ハンガリー載冠ミサ曲」を作曲して指揮をしました。 屋根には光沢のあるカラフルなモザイクが使われています。 |
教会内 |
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主祭壇 |
聖イムレの祭壇 |
ステンドグラスと幾何学模様 |
ステンドグラス |
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ペスト地区へ
ブダ地区からペスト地区へ移動しての見学です。
ドナウ川を渡る橋は8本あるそうです、その中でもっとも有名な橋が「くさり橋」(ネックレスのチェーンのよう)で、正式名称は設計者セーチェニ・イシュトヴァーンから取ってセーチェニ橋というそうです。
その橋を渡ると、右手側少し先に国会議事堂が見えます。
ドナウ川沿いで、最高に美しい建物で、堂々とした姿で、外観はネオゴシック様式で、中央ドームはルネッサンス様式と様々な趣があります。
国会議事堂 |
国会議事堂
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イシュトハーン大聖堂 |
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鐘楼塔 |
教会の正面 |
ハンガリー最大の教会で、ハンガリー建国1000年を記念して建てられ、初代国王イシュトハーンの聖なる右手(ミイラ)と大理石の像があります。
左上の写真は通りから80mの高さの鐘楼塔が見えてきました。
右上は正面から撮りました、大きくて随分下がったのですが、中々全体像が撮れませんでした。 |
祭壇前 |
ドーム |