2日目後半 チェスキー・クルムロフ(世界遺産)

中世の街並みを残す城下町


チェスキー・クルムロフ城から見た街並み
13世紀に南ボヘミアの領主クルムロフはヴォルダヴァ川が蛇行し、弧を描いているこの地に城を築きました。
700年の時を隔てて、その川沿いに発展した街並みとともにほぼ完璧に残っています。
銀鉱山とともに発展した町は、その後時代に取り残されひっそりと佇んできました。
1992年世界遺産に登録され再び人の往来が賑やかになりました。
チェスキー・クルムロフ城は当主によって、ゴシック様式からルネッサンス様式、それにバロック様式が加えられ、異なる様式が上手く調和し、ボヘミア地方ではプラハに次ぐ規模のお城です。

チェスキー・クルムロフへ向かう道中、バスの窓から見るボヘミアの田園風景はどこまでも続くなだらかな丘陵地帯で、高い山もなく北海道の美瑛の丘の景色によく似ています、緯度も近いようです。
窓からの眺めは色違いの丘の重なりがとても綺麗で、写真の菜の花畑の黄色に、青々とした麦畑もあり、緑、黄緑、黄色とグラデ-ションの織物のようでした。
さらに白樺の木々にライラック、こでまり、ロベリアの花が咲き乱れ、花の咲く季節に訪れることができ感激しました。
「おお牧場はみどり」の歌はこの地のボヘミア民謡です。
左の写真、標識でLINZ(リンツ)の下にC.KRUMLOV(チェスキー・クルムロフ)と書いてあり、プラハから50分、ひたすらオーストリア国境近くまで南下します。
チェコは日本の5分の1の国土、人口は1千万人少々で、ドイツ、オーストリア、スロバキヤ、ポーランドと国境を接し、国民の94%がチェコ人で、後はスロバキヤ人とドイツ人だそうです。
公用語はチェコ語で、装飾記号が付いています。
英語は通じないことが多く、ロシア語・ドイツ語のほうが年寄りに通じるというのは、占領された歴史を物語っているようです。

菜の花畑

道路標識
チェスキー・クルムロム城

チェスキー・クルムロムの街並みは完璧というほどに中世の街そのもので、目を見張る美しい光景です。
私達は城を目指して坂を駆け上り、城と城を繋ぐ石橋の上から街の写真を撮りました。(左下)
かつては1647年に建造された木製の跳ね橋があったそうです。
この石橋の両側の掘割には16世紀から熊が飼われていて、今も左側に1頭、右側につがいが飼われているそうです。
城内は撮影禁止で撮れませんでしたが、いくつかの部屋に熊の頭のついた毛皮が敷いてありました。
右下は土産もの店に売っていたスカーフに描かれた地図で、左の写真の向きにおいてみました。
超S字に蛇行したヴォルダヴァ川の上流が作った地形です。
地図の下に連続して建つ赤い建物がクルムロフ城ですから、私達はそこから、しずく型の地形の真ん中に白く見えるスヴルノスティ広場、その先の聖ヴィート教会の塔の方向をを眺めています。

中世そのものの街並み

地図を描いたスカーフ

城の塔
城内には5つの中庭があり、これは第2の中庭から眺めた城の塔です。(写真左上)
城の古い記録は1253年の文章でこの地は「Chrumbenowe」と呼ばれ、これは「曲がった川辺の未開墾の草地」を意味する古いドイツ語に由来するそうです。
この塔はアーケードと呼ばれる回廊部まで登ることが出来き、最上部には時を知らせる鐘があり、その下に時計がはめ込まれていて、初めはゴシック様式だったのが19世紀から20世紀に修復されルネッサンス様式と混在し、美しい壁画が描かれています。
私達は城内見学後、街に出ましたので、右上の写真は城を出てから見上げて撮った写真で、この街のどこからでもこの塔を見ることが出来ます。

描かれた壁

上層部の城壁
この宮殿の建物は14世紀から18世紀にかけゴシック様式からルネッサンス様式へと変わっていきました。(さらにバロック様式も加わる)
これは宮殿に描かれた絵で、実際に石が積み上げられ、彫刻を配したように錯覚で見せる「騙し絵」の手法で、フランス語では、トロンプ・ルイユといわれるものです。
教会の内部などではよく見かけますが、外側でこれだけ大規模な騙し絵は、はじめて見ました。
また、中にも仮面舞踏会に使われたホール(ロココ様式)があり、その四面の壁には1748年レーデラーによって細かく舞踏会の様子が描かれています。
着飾った貴族で、イタリア人やフランス人、中国人、トルコ人やまたコメディアンの個性ある衣装や表情を、フラスコ画(漆喰の乾ききらないうちに水彩絵の具でで描き、石灰層の中に絵の具がしみ堅牢となる)で描かれ、騙し絵も使われています。
このホールはチェスキー・クルムロフ国際音楽祭等のコンサート会場としても使われています。

歴史的街並み

急峻な斜面に建つ城
城から出て町の広場へ向かいます。(左)
中世的面影のある街並みは時空を超えた世界に迷い込んだ気持ちで、はるばる遠くへ来た実感が沸きます。
右上の写真の第4の中庭の部分はヴォルダヴァ川に向かって急峻な斜面で、その城の工事は大層困難なものと想像できます。
宮殿部分は地下に3層の地下蔵が作られていて、これらの一部は洞窟ギャラリーで見ることが出来るそうです。
城の歴史は13世紀に有力貴族ヴィテーク家の領主クルムロムがここに最初のお城を建築しました。
銀で街は栄え14世紀には勢力のある地主ロジェンベルク家が支配し、ルネッサンス様式に建て替えられ(創設期の古い部分も一部現存)、城下町の最盛期でありドイツ人とチェコ人が仲良く暮らしていました。
その後17世紀にロジェンベルク家の跡継ぎがなくハプスグルブ家のルドルフ2世に売り渡されました。
その後次々と城主が替わり最終的にはウィーンの貴族シュヴァルツェンベル家にものとなります。
スヴォルノスティ広場

スヴォルノスティ広場

中世の家
クルムロフ城見学後、スヴォルノスティ広場に集合しました。
中世の可愛らしい家並みに囲まれた広場で、中央に1716年作のペスト記念塔が建ています。
説明後自由時間となり、周りのお店をめぐり、孫のお土産に木作りのおもちゃを見て回りました。
数軒吟味して歩き、元のお店に戻ろうとしたところ、夕方の6時となり、店じまいしてしまいました。
全体的に時間はアバウトな割りに終了時間はきっちりしていて、チェコで買うことが出来なくなりました。
ちなみに決定したのは右の写真で下の段の左から2つ目の赤い車輪の汽車ポッポの積み木でした。(笑)

    
聖ヴィート教会

聖ヴィート教会

ルージュ(ホテル)
聖ヴィート教会という15世紀のゴシック様式の教会とその塔です。(左上)
聖ヴィート教会並びの右側の建物(左上)は1586年に建てられたイエズス会の修道院の建物です。
それを1889年にホテル・ルージュに改造され、今回は雰囲気のあるこのホテルに泊まることができました。
夜にはクルムロフ城がライトアップされ、部屋からその美しい景観を眺める事ができるのです。
ただ私たちは前日の疲れと、古い修道院のホテルということで何か部屋に現れるかも?という噂もあり、早々とカーテンを閉めて寝てしまいました、これも残念でした。(笑)
一日に世界遺産を2つも巡るという盛りだくさんで充実した日でした。

夕食、ホテルの部屋


    
   
   具沢山のスープ          長いソーセージ料理              木製のベッド

景観・朝食・食堂


    
    
窓から見える教会と城の塔        翌朝の食事           食堂に使われている部屋

 


Czech、 Austria & Hungary   Czech、 Austria & Hungary  Czech、 Austria & Hungary   2006・5・24〜6・1

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