1日目 成田発パリ経由プラハ(チェコ)着

今年はモーツアルト生誕250周年の年でもあり、2006年モーツアルトイヤー特別運行の皇帝列車「インペリアル・アマデウス」に乗ってみようというのが、この旅行の計画となりました。
かつてモーツアルトが故郷ザルツブルグを後にしてウィーンへ出た景色を眺めてみたいと思いました。

成田にて前泊し、午前9時に成田空港に到着です。
銀行にて1ユーロ=153円で4万円を両替し、また千円分を食事時の飲み物代とトイレ代としてチェコのお金コルナに両替(おおよそ5千コルナ)しました。
チェコ行き直行便はなく、11:25成田発パリ行き全日空便に搭乗しましたが、実際は20分遅れの45分の離陸でした。
離陸後1時間ぐらいで食事時間となり、最後の和食(機内食)ということで、ご飯を選び、半分ほど食べ進み、まだ写真撮影をしていないことに気がつきました。
何れ記憶は薄れるものですから、今回も頑張って全食、写真撮影をする予定です。

機上した全日空便

和食の機内食
座席は左右3人ずつ、真ん中4人の横1列10人で、私達の座席は中の4人列で全体のちょうど真ん中ぐらいで、トイレの後でした。
前の席がない分、少し余裕で立ち上がるのが楽でした。(笑)
ただ各座席の後ろに付いているテレビがなく、少し心配しましたが、座席の下からアームが出て私達も無事に映画鑑賞することが出来ました。
「アンフィニシュド・ライフ」「ナルニア国物語」「プロデューサーズ」を見ました。

パリ・ドゴール空港

チェコ航空機
夜10時ごろ軽食の夕飯が出ました。
その後夜11時35分にパリ・ドゴール空港に到着です、時差8時間のところサマータイムで7時間差の現地時間に合わせ、現地時間夕方の4時51分となりました。
ドゴール空港の第一から第二空港にバスで移動ですが、かなりの距離があり10分以上かかりました。
外は雲が立ち込めて変わりやすいヨーロッパの空を表しているようで、気温も16度ぐらいです。
右上に見える小振りの飛行機が私達が乗るチェコ航空機で、新幹線の列車の中のようでした。(左右3人席の1列6人席でした)

プラハ空港

ホテル内
チェコ行きの搭乗手続き7時開始が25分ほど遅れてはじまり、日本と違って時間的にはアバウトです。
乗換え手続きが8時15分まで掛かり、20分の搭乗ぎりぎりとなり、乗ってすぐ、軽食が出ました。(笑)
プラハ到着11時で、すでに日本時間では、次の夜明け6時頃でした。(笑)
プラハの空港で、荷物を受け取る際、3個の荷物が到着せず、添乗員さんが連絡を取りましたが、行方知れずとなりました。
前回に引続き、滅多に無いアクシデントが起ったという感じで、災難に合われた方がお気の毒でした。
日本は翌日の朝という時間帯にホテルに到着です。
長い1日でしたが、明日は早朝集合なので、急いでシャワーして寝ることにしました。



 2日目前半  百塔の街プラハ(世界遺産)

千年の歴史をみつめてきたプラハ城


カレル橋より撮影したプラハ城・左黒屋根は現在大統官邸として使用
真ん中の赤屋根は旧王室右側ロブコヴィッア宮殿・奥真ん中聖ヴィート大聖堂・右イジー修道院


ヴルタヴァ(モルダウ)川を中心に左岸にはプラハ城がそびえ、右岸には旧市街地と新市街地が広がる東西ヨーロッパ文化が合流し交錯するプラハは繁栄と侵略の歴史を刻み、激動の時代を経て、民族の歴史を大切に残した街並みを残しています。                                   
ロマネスクから現代まで、ゴシック、ルネッサンス、バロック、ロココなど各時代、各様式の美しい建造物が残り、「建築博物館の都」とも呼ばれ、1992年「プラハの歴史地区」は世界で初めて全市、世界遺産に登録されました。
映画「アマデウス」のロケはミロス・フォアマン監督の生地の近くであるプラハで行われ、監督自ら「この都市の華麗な18世紀の建物の大部分は昔のままで残っている。プラハは360度どのアングルからでも撮れる街路や広場がいっぱいあり、手の加える必要などまるでない」と語り、その通りの見事な街並みでした。
また「モーツアルトを愛し、モーツアルトに愛された街プラハ」といわれ、1787年上演されたオペラ「フィガロの結婚」の大ヒットでモーツアルトはプラハに招待されました。
ウィーンで冷たく扱われたモーツアルトを温かく迎え、モーツアルトも熱狂的に受け入れた人々への感謝を表すかのように、滞在中初演した交響曲を「プラハ」と名づけました。
同年「ベルトムラカ荘」で書き上げたオペラ「ドン・ジョバンニ」をプラハのエステート劇場で初演、プラハはこれを熱狂的に迎えました。
1800年代には、プラハはスメタナやドヴォルザークを生み、「ヨーロッパの音楽学院」とも言われ、コンサートやオペラ上演も盛んです。
スメタナはチェコの民族運動にも参加し、チェコ音楽を代表する連作交響詩「「わが祖国」は、毎年スメタナの命日の5月12日「プラハの春音楽祭」の開幕曲として演奏され、日本でも親しみ深い「モルダウ」はこの2曲目です。


聖ヴィート大聖堂

プラハ城西門
プラハは山のない平原で、唯一小高い丘にプラハ城は建っています。
プラハ城の西、ベルヴェデーレ宮殿(16世紀ルネッサンス様式の離宮)の上でバスを降り、聖ヴィート大聖堂の裏側から撮った写真です。
ここなら全景が入るそうで、お城よりも高く目立つ尖塔です。
右の写真はプラハ城の西門で、両側に衛兵が立っています。
衛兵は皆さんイケメン揃いで、さっそく一緒にカメラに収まりました、勿論表情も含め微動だにせず。
この西門より城内に入りました。 

コール噴水と聖十字礼拝堂
ボヘミア王国を象徴するプラハ城

スラブ族の城造りは9世紀に始まり、14世紀カレル1世の時代にほぼ現在の姿に整えられました。
カレル1世の時期、プラハはローマ帝国の首都となり、20年間の黄金時代を迎えます。
城壁に囲まれた中に王宮、旧王宮、教会などがあります。
フス宗教戦争の後、衰退するが、16世紀ハプスブルグ家のルドルフ2世(エリザベートの息子)の時代に城はまた全盛期を迎えたが、後に宮廷はウィーンに戻り、城は衰退して行きます。
城内の第二の中庭のコール噴水、左は聖十字架礼拝堂で、右が現在大統領府として使われています。
聖ヴィート大聖堂

聖ヴィート大聖堂


左側の尖塔の建物で、まさにゴシック様式です


第三の中庭の目の前には聖ヴィート大聖堂がそびえ、本当に大きくて全体像が入らず、中央のみ写しました。
926年バーツラフ1世がこの地に教会を建て、11世紀にロマネスク様式に14世紀のカレル1世によってゴシック様式に建て替えられました。
その右側は織物の絵のように細かく金で彩られています。
ゴシック様式になってからも、建築は続けられ、完成したのは1929年です。



ミュシャの「聖キリルと聖メトディウス」
聖堂内の写真撮影は有料で1台30コルナ、前もってチケットを買っておきます。
ただフラッシュ禁止なので、ステンドグラスや明かりのあるところしかよく写りませんでした。
主祭壇前には王の廟墓があり、聖ヴァーツラフ礼拝堂は、宝石、黄金で装飾されていました。
主祭壇の横には王家の墓をしのぐほどに立派な聖ヤン・ネポムツキーの墓と像がありました。
また地下墓所にカレル4世の一家の棺、その後ろにルドルフ2世の錫の棺があるそうです。
19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで展開されたアール・ヌーヴォーの代表的アーティストのひとり、アルフォンス・ミュシャ(1860年−1939年)は、現在のチェコ共和国東部のモラヴィアの小さな村出身です。
中に入り左から3番目のひときわ目立つステンドグラス『聖キリルと聖メトディウス』がミュシャ(ムハ)作です。
ミュシャのは他と作風が違います、写真が上手く撮れたと思います。(笑)

黄金の小路


黄金の小路(カフカの仕事部屋)


黄金の小路
16世紀に、もとは城の兵士や召使いの住居として建てられました。
やがてルドルフ2世お抱えの錬金術師達がここで妙薬を作っていたと言う伝説から「黄金の小路」と呼ばれています。
22番水色の家は小説家カフカが仕事部屋として使っていたところです。
正面の黄色の家まで数十メーターしかない黄金の小路ですが、色とりどりの小さい家が可愛くて、おとぎの国に迷い込んだようです。
今は観光客用の土産物店で、絵や雑貨を売っていました。カフカが借りていた家は今は本屋になっています。
城壁を下る

城壁

城壁から見た旧市街地と新市街地
黄金の小路を出ると城壁に囲まれた旧登城道を市内に向かって下ります。
道中土産物を扱う屋台が並んでいます。
眼前に展開する旧市街とその中央を流れるヴルタヴァ(モルダウ)川、さらに右奥遠くに見えるビル郡の新市街を展望することが出来ました。
さすが百塔の街と言われるだけあって尖塔が目に付きます。
左川向こうに見える緑の丸い屋根が、
聖ミクラーシュ教会で、1787年モーツアルトがオルガン演奏をしたところです。
旧市街

2連結のトラム

カレル橋の下から

私たちはプラハ城へ西門から入り、聖ヴィート教会を見学し、城から黄金の小路に出たため、正門を見ることが出来ませんでした。
正門前が映画「アマデウス」のロケに使われたのですが、残念ながら通らず、こういう時団体行動というのは不便だと思いました。(笑)
城壁を下り終わると、通りに出ます。(左上)またちょうどその時、トラムが来たので、写真に撮りました。
その通りを下るとカレル橋に着きます。
左上の写真はカレル橋の下から写したもので、正真正銘の石の橋だというのがわかり、またちょうど屋根の高さで石の色が変わっていますが、これは2002年のヴルタヴァ川の洪水でここまで水に浸かったためで、未だにくっきりとその跡が分かります。
どこも石畳が綺麗で、石畳に石の橋、石の家と日本と違う文化を強く感じました。

カレル橋

カレル橋

橋より見るプラハ城
14世紀後半から15世紀初に建造されたプラハ最古の石の橋で、天才建築家ベトル・バルレーシュが手掛けました。
重厚なゴシック様式で、全長516m、幅9.5m、合計16のアーチを持つています。
欄干上には30体の聖人像が並んでいますが。最初にボヘミアの守護聖人ヤン・ネポムツキーの像が1683年に制作され、以来34年かけて増えていったそうです。
橋の上から、今見てきたプラハ城を振り返りました。

ヤン・ネポムツキーの像

聖人像
聖職者ヤン・ネポムツキーは、ボヘミア王バーツラフ4世の対立していた大司教側ということもあり、また妃の懺悔内容を話すことを拒否したため王の命令でヴルダヴァ川に投げ捨てられて殉死したと言われます。
ヤン・ネポムツキーの像の下に、彼が殺されようとしている図柄が彫られ、その部分を左手でなでると、幸せになれるそうです。(左上)
私達も並んで触ってきました、ブロンズのその部分がだけが金ぴかです。
聖職者ヤン・ネポムツキーの頭の上には金の5つの星があります。
また右上の写真は30体の中の1つで、歴史の教科書でもおなじみのフランシスコ・ザビエルの像です。
インド人・黒人・ちょん髷を結った日本人・タタール人に担がれ、アジアに伝道したことがモチーフになっているようです。

露天

橋門塔
カレル橋は歩行者専用なので、さまざまな露天やストリートミュージシャンの演奏が楽しめます。
橋というより広場として、いつも賑わっている感じです。
橋の終点に橋門塔があり、当時は通行料を取っていたとか、塔に登ると、旧市街を展望できるようです。
600年の歳月を通り越しても、なお利用される建築技術は見事です。

橋門塔

スメタナ博物館とカレル1世像
橋門塔は側まで来るとさすが大きく、当時は門があり、場合によっては要塞の役目をしたそうです。
壁の装飾も素晴らしく、可憐なバラの花が縁取りになっています。
橋門塔を潜り抜け、プラハ城を真ん中に入れて撮ってみました。(左上)
橋門塔脇公園にこの橋の築上を命じたカレル1世(神聖ローマ皇帝・カール4世)の銅像があります。(右上)
カレル1世ははじめて架橋したのみならず、カレル大学の設立やチェコ語を公用語にした功績は大きいです。
後ろの建物はスメタナ博物館の裏側に当たり、スメタナはここに住んでオペラ「売られた花嫁」を作ったそうです。
旧市街広場

旧市庁舎にある天文時計

旧市庁舎の塔
西暦1338年、ボヘミア王国の首都プラハの市民達に、市庁舎を建てる許可が与えられ、それを受けて市民たちが建設したのが、この旧市庁舎です。
その前部にあるのが天文時計で、時計の真ん中に地球がありその周りを太陽が回るという天動説に基づいて造られています。
時間になると、2つの青い窓が開き、キリストの12師徒が窓に現れる仕掛け時計になっています。
この旧市庁舎の塔の上に登ることが出来、そこから眺める旧市街広場と旧市街は絶景だそうです。

ヤン・フス像

聖ミラクーシュ教会
西暦1415年、ボヘミア(チェコ)の宗教改革者ヤン・フス(カレル大総長)がローマ教会の堕落を厳しく弾劾、コンスタンツの宗教会議によって火刑に処せられました。
フスのローマ教皇に対する抗議はルターの宗教改革よりも100年も前のことです。
フスの火刑後に西暦1419年から1436年にかけて、ボヘミアでは宗教戦争(フス戦争)が起こり、その後、ボヘミアの国土は荒廃し、人口は減少しました。
中央に立つチェコの英雄・ヤン・フス像は、1915年にフス没後500年を記念して建てられました。
左の写真で、中央左に見えるのは聖ミラクーシュ教会です。
その後のプラハは1438年ハプスブルグ家に支配され、チェコ語を禁じられ、500年の長き支配下におかれました。
第一次大戦後チェコスロバキアは独立、チェコの人々は「祖国の父よ城へ来たれ」と叫んで初代大統領をプラハ城へ招きました。
1938年ナチスによる占領、1945年からは共産党支配による弾圧の時代、そして1968年8月ソ連軍のチェコ侵攻、1989年のソ連邦の崩壊と共に「ビロード革命」で社会主義政権が崩壊し、チェコスロバキア共和国となりました。
さらに1993年1月1日、合議によりチェコスロバキア共和国はチェコ共和国とスロバキア共和国の2つの独立した国となりました。
プラハの街は古いものが大事の残され落ち着いた雰囲気があり、是非もう一度ゆっくりと訪れてみたいと思わせてくれる素敵な街でした。

昼食

      
  牛のクリームソース                デザート                小澤征爾さんも訪れるというレストランで頂きました
 
チェコ料理に添えられるクリドリーキ(ジャガイモを蒸してつぶして焼いたもの)


 

Czech、 Austria & Hungary   Czech、 Austria & Hungary  Czech、 Austria & Hungary   2006・5・24〜6・1

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