聖ヴィート大聖堂 |
プラハ城西門 |
プラハは山のない平原で、唯一小高い丘にプラハ城は建っています。
プラハ城の西、ベルヴェデーレ宮殿(16世紀ルネッサンス様式の離宮)の上でバスを降り、聖ヴィート大聖堂の裏側から撮った写真です。
ここなら全景が入るそうで、お城よりも高く目立つ尖塔です。
右の写真はプラハ城の西門で、両側に衛兵が立っています。
衛兵は皆さんイケメン揃いで、さっそく一緒にカメラに収まりました、勿論表情も含め微動だにせず。
この西門より城内に入りました。 |
コール噴水と聖十字礼拝堂 |
ボヘミア王国を象徴するプラハ城
スラブ族の城造りは9世紀に始まり、14世紀カレル1世の時代にほぼ現在の姿に整えられました。
カレル1世の時期、プラハはローマ帝国の首都となり、20年間の黄金時代を迎えます。
城壁に囲まれた中に王宮、旧王宮、教会などがあります。
フス宗教戦争の後、衰退するが、16世紀ハプスブルグ家のルドルフ2世(エリザベートの息子)の時代に城はまた全盛期を迎えたが、後に宮廷はウィーンに戻り、城は衰退して行きます。
城内の第二の中庭のコール噴水、左は聖十字架礼拝堂で、右が現在大統領府として使われています。 |
聖ヴィート大聖堂 |
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聖ヴィート大聖堂 |
左側の尖塔の建物で、まさにゴシック様式です
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第三の中庭の目の前には聖ヴィート大聖堂がそびえ、本当に大きくて全体像が入らず、中央のみ写しました。
926年バーツラフ1世がこの地に教会を建て、11世紀にロマネスク様式に14世紀のカレル1世によってゴシック様式に建て替えられました。 |
その右側は織物の絵のように細かく金で彩られています。
ゴシック様式になってからも、建築は続けられ、完成したのは1929年です。
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ミュシャの「聖キリルと聖メトディウス」 |
聖堂内の写真撮影は有料で1台30コルナ、前もってチケットを買っておきます。
ただフラッシュ禁止なので、ステンドグラスや明かりのあるところしかよく写りませんでした。
主祭壇前には王の廟墓があり、聖ヴァーツラフ礼拝堂は、宝石、黄金で装飾されていました。
主祭壇の横には王家の墓をしのぐほどに立派な聖ヤン・ネポムツキーの墓と像がありました。
また地下墓所にカレル4世の一家の棺、その後ろにルドルフ2世の錫の棺があるそうです。
19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで展開されたアール・ヌーヴォーの代表的アーティストのひとり、アルフォンス・ミュシャ(1860年−1939年)は、現在のチェコ共和国東部のモラヴィアの小さな村出身です。
中に入り左から3番目のひときわ目立つステンドグラス『聖キリルと聖メトディウス』がミュシャ(ムハ)作です。
ミュシャのは他と作風が違います、写真が上手く撮れたと思います。(笑)
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黄金の小路 |
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黄金の小路(カフカの仕事部屋)
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黄金の小路 |
16世紀に、もとは城の兵士や召使いの住居として建てられました。
やがてルドルフ2世お抱えの錬金術師達がここで妙薬を作っていたと言う伝説から「黄金の小路」と呼ばれています。
22番水色の家は小説家カフカが仕事部屋として使っていたところです。
正面の黄色の家まで数十メーターしかない黄金の小路ですが、色とりどりの小さい家が可愛くて、おとぎの国に迷い込んだようです。
今は観光客用の土産物店で、絵や雑貨を売っていました。カフカが借りていた家は今は本屋になっています。 |
城壁を下る |
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城壁 |
城壁から見た旧市街地と新市街地 |
黄金の小路を出ると城壁に囲まれた旧登城道を市内に向かって下ります。
道中土産物を扱う屋台が並んでいます。
眼前に展開する旧市街とその中央を流れるヴルタヴァ(モルダウ)川、さらに右奥遠くに見えるビル郡の新市街を展望することが出来ました。
さすが百塔の街と言われるだけあって尖塔が目に付きます。
左川向こうに見える緑の丸い屋根が、聖ミクラーシュ教会で、1787年モーツアルトがオルガン演奏をしたところです。 |
旧市街 |
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2連結のトラム |
カレル橋の下から |
私たちはプラハ城へ西門から入り、聖ヴィート教会を見学し、城から黄金の小路に出たため、正門を見ることが出来ませんでした。
正門前が映画「アマデウス」のロケに使われたのですが、残念ながら通らず、こういう時団体行動というのは不便だと思いました。(笑)
城壁を下り終わると、通りに出ます。(左上)またちょうどその時、トラムが来たので、写真に撮りました。
その通りを下るとカレル橋に着きます。
左上の写真はカレル橋の下から写したもので、正真正銘の石の橋だというのがわかり、またちょうど屋根の高さで石の色が変わっていますが、これは2002年のヴルタヴァ川の洪水でここまで水に浸かったためで、未だにくっきりとその跡が分かります。
どこも石畳が綺麗で、石畳に石の橋、石の家と日本と違う文化を強く感じました。
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カレル橋 |
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