6日目 ブルージュ→ブリュッセル→アルデンヌ地方


引き続き天気も良く、今日は可愛い中世の町ブルージュを後にします。
水の都・ブルージュはベルギーの北海に近い位置にありますが、首都ブリュッセルは北のフランドル地方(主にオランダ語)と南のマロン地方(主にフランス語)のほぼ中心に位置します、そのブリュッセルまで、100キロをバスで約1時間半を掛けて向かいます。
ブルージュでもそうでしたが、表札にはオランダ語とフランス語の両方が表記されていました。
また、ドイツ国境に近い地域ではドイツ語が使われているそうです。

バスの席は「後ろに座った方は次の日は真ん中、前の方は後ろへ・・・」という添乗員さんの言葉どおり、皆さん大人ですから毎日スムーズに決まります。
私達世代は大体出かけるとそうなのですが、このツアーでも年齢的に真ん中だと思います。
連休明けですから、勤め人(サラリーマンと若い方)はほとんどいません、主婦と男性は大半がリタイヤ組で、その後仕事をされている方もいますが、このコースは花がメインでもあったので、女性側が選んだコースのようです。(笑)
オランダ同様に、どこまでも続く平原に、牛や羊が放牧され、水と緑が豊富です、そして、町が見えると、写真の様に教会(塔がある)を中心に家並みが広がります。
こういう風景が幾度となく繰り返され、バスは進みます。


ブリュッセル(BRUXELLES/BRUSSEL)

ブリュセルに入ると、近代的な建物が続きます、その中でも、中世風の町並みも残っていました。→
ここで、ガイドのKさんと合流しました。
Kさんは、吉永小百合さん、和泉雅子さんといった私達世代の当時のアイドル風で、飾り気はないけれど可愛らしい女性でした。
それ故若く見えますが、ベルギーの方と国際結婚され、当地で暮らす子育て真っ最中の主婦でした。

そのガイドのKさんのお話では、私達を乗せたバスが今走っている道路は18世紀に侵入したナポレオンが城壁を壊して環状線の道路にしたそうです。
ヨーロッパは日本のような四方を海に囲まれた島国と違い陸続きで、道路は侵略のキーポイントになるのですね。
”全ての道はローマに通ず!”というごとくヨーロッパでは主要な道路はローマとつながり、当時(といっても古代ですが)そのローマ帝国の威力を感じる取ることが出来ます。
また、その城壁を壊して作られた道路が、その後の街の発展にも役立ったとも言われました。

ベルギーは長い間、いろんな国の侵略を受け、ローマ帝国時代、ブルゴーニュ公国の時代、ハプスブルグ家の時代、フランス統治の時代、オランダに統合、そして1830年にオランダから独立、その後、第一次世界大戦中はドイツ侵略とまさにさまざま・・・
ブリュセルは14世紀頃から交通の要衝として栄え、1830年にブリュセルで革命が起こり、オランダから独立した際に首都と定められました。
この街の人口は現在100万人で、ベルギーに居る日本人は大よそ6000人で、うち4000人がブリュセルに在住で、日本語学校があるそうです。
ベルギーの国旗は黒・黄・赤の3色旗で、黒と黄色がフランドル地方、赤色と黄色がマロン地方を表しているとも言われました。
また、紋章が、 ベルギーの獅子で、 赤い爪、黒色の背景に舌を出す黄色い獅子ですから、これも意味しているのでしょう。

■最初に見学をしたのは、独立50年を記念して開園したサンカトネール公園です。
中の軍事博物館を見学し、屋上から町並みを見下ろし、サンカントネール門を見学しました。

■ベルギーが独立し、第2次世界大戦後からは、ヨーロッパ各国の地域的にも、内容的にも中心となり、ECC(ヨーロッパ経済共同体)、EU本部(欧州連合)、NATO本部(北大西洋条約機構)と大きな機関が置かれています。
最初6カ国ではじまったEUも今年の5月現在で25カ国が加盟です。
12個の☆が円をなすEUのマークの大きな旗が掲げられ、ウインド-にもEUを推し進める大きな広告がいくつも貼り付けてありました。
下の写真はEU本部です。(車窓から撮りました)
各国大使館も通りましたが、警察が出て表門、裏門と厳重に警備していたのはアメリカ大使館でした、旅行をしていても緊張感を覚えました。

数年前、EU本部に勤める人々の中に、癌に罹る人が多く、調べたところ建築資材に使われたアスベストが原因であると分かり、それを取り除く工事が行われました。(日本でも話題になりましたね)
その間は長い間、工事用の白い布で覆われていたそうで、これは再生EU本部の姿です。



■ブラバン公邸の庭園だったブリュセル公園とその向かいにある、1829年完成の王宮をバスを降りて眺めました。

*これは菩提樹の木を剪定して真横に枝を張らせ菩提樹の壁にしてあります。
ブルージュの教会前にもあり、ベルギーでは良く見かけました。
*入口正面から、先に見える噴水まで一直線で広々としています。

王宮です。
次々と観光バスが止まり、また中学生か高校生の見学もあり、すぐに人だかりが出来、。見学に止まったバスとバスの間から急いで撮りました。(笑)

■市内見学はバスを降りて徒歩で行います。

ギャラりー・サンチュベール

1847年に完成したアーケードで、ネオクラッシックとアールヌーボーの2つの様式がミックスされたエレガントで、ガラスのドーム天井が高くて、光の差し込む様が美しい〜。
王のギャラリー、王妃のギャラリーに分かれているそうです。
ショップやギャラリーが並び、19世紀に芸術家の溜まり場だったという歴史のあるカフェも残っているそうです。
↓こちらは小さい通りですが沢山のレストランが立ち並び、準備に勤しんでいます。
氷を広げて、ベルギー名産のムール貝や魚を並べます。
通りにテーブルと椅子を並べて、オープンテラスです

上の写真の通りはイロ・サクレ地区というのですが、ここでベルギーの有名な小便小僧を見る前に、こちらには小便少女があると案内されました。(!?)
いえ、少々のことでは、もう驚かないぞ、ベルギー!なのですが・・・(笑)
2度あることは3度あるともいいますし・・・(笑)
これは1985年に、ガンとエイズの撲滅募金を呼びかけるために製作されたそうです。
鉄柵に囲まれた中にですが、名前の通り少女がしているのですが、まったく衣類をつけず、しゃがみ込んでしているわけです・・・(^^;
何でも受け入れる日本人の一人ですが、これはどうでしょうか?・・・ちょっと驚きました、私自身何でも〜という訳にもいかず、今回はカメラを出さずに通り過ぎました。(笑)
ユーモア?としても、色んなものがある国ですね、というか行くほうも・・問題ありということなのでしょうか?・・・

■グランプラス

17世紀に建造された華麗な建築物に囲まれた広場です。
ヨーロッパでも屈指の美しさを誇り、1998年には世界遺産に登録されました。


この石畳の広場はオランダ語でフローテ・マルクトとよばれ、11〜12世紀には市場の開かれる場所として栄えたそうです。
この日も。毎日開かれるという花市が行われていました
上の写真の右側の建物がブリュッセル市庁舎で、この広場で最も華麗な建造物です。
左側はレストランや博物館、ダイヤモンド店が入っています。

同じく市庁舎です。
フランボワイヤン・ゴシック様式で、塔は1449年に建造され、尖塔の高さは96m。
写真は先端まで撮れなくて残念です。
現在は博物館として、絵画やタペストリー、小便小僧の多数のワードロープがあるそうです。

また向かいにある 市立博物館(王の家)は、ハプスブルグ家の支配時代はスペイン政庁として利用、1872年に再建する時にデザイン変更され、後期ゴシック様式を残した建物になっているそうです
17世紀のギルドハウスで、こちらもカフェや銀行になっています。

フランスの詩人・小説家のジャン・コクトーはこの広場を「世界一華麗な劇場」と讃え、フランスから亡命し、1852年広場の東側「鳩の家」に滞在していたヴィクトル・ユーゴも「世界で最も美しい広場」との言葉を残しているそうです。

本当に、いつも観光客でいっぱいです。
このブリュッセル市庁舎の裏側の通りに、「小さいジュリアン」と言われる小便小僧があります。(1619年デュケノワ作全長56センチ)
また18世紀にルイ15世の兵士が像を盗んだお詫びとして、王が豪華な衣装を贈ったそうです。
それ以降世界から衣装が送られるようになり、市の博物館に650着以上のワードローブがあるそうです。

小さい像で、鉄柵がありこれ以上近寄ることも出来ません。
しかもこの日は、ロシアの記念日とかで、後ろは国旗で、ロシアの衣装を着けています。(^^;
像そのものがブロンズ色ですし、やっぱりよく見えませんが、ベルベットの黒か紺のコート姿だったと思います。
日本からも贈られているそうで、桃太郎の陣羽織だそうです。(他にもあると聞きます)

日本ではそういう衣類を着た像があることは知っていましたが、ベルギーのご本尊様に、衣装付きで会うとは思いもしませんでした・・・似たもの同士かしら〜(国民性?)(笑)
折角ですから、こちらは衣装なしの小便小僧を見たかったですね〜


アルデンヌ地方(古城巡り)


お昼にはベルギーの名産であるムール貝を頂きました。
こちらでは本当にバケツに入って出てくるのですね、私達はツアー客用に一人分ずつお皿に取り分けてあるのを頂きました。
午後からは、ブリュッセルの自由散策と、オプションナルツアー「南ベルギー古城巡り」とに分かれました。
私達はガイドのKさんと古城めぐり(マロン地方の南=アルデンヌ地方)に参加です。

ガイドのkさんからお話を聞きながらバスで、南下します。
 ベルガエと呼ばれるケルト部族が定住するベルギー地方は紀元前57年にユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー=英語読み)率いるローマ軍によって征服され、この地をローマ人からガリア・ベルギカと呼ばれ、ベルギーの語源となったようです。
この地を含む戦闘の模様を7年間に渡り記されたのが、あの有名な「ガリア戦記」ですと・・・
ここで、ジュリアス・シーザーの名前を聞こうとは思いもしませんでした。
やはりシェークスピアの「ジュリアス・シーザー」での「ブルータス、お前もか!」と暗殺される時のセリフは余りにも有名ですよね。
専制化した政権を倒したり、領土拡張の戦いに連戦連勝してローマ国民を熱狂のるつぼに化したという、その古代ローマの武将シーザーの凱旋をむかえたのは暗殺者集団と実力と人気の絶頂における死だったと・・・。
勿論クレオパトラとの関係も有名過ぎますよね・・・(笑)
どうもその印象が強かったのですが、このガリア地域というのは、今のフランス・ベルギーなのですね、再認識しました!
なんとなくですが、この大地に繋がる歴史をほんのちょっぴりですが・・・体感できた気がしました。(笑)
5世紀になるとローマ帝国が衰退し、ゲルマンのフランク族が侵入し、ローマ帝国は北部を放棄し、南部へと後退をよぎなくされ、北にゲルマン語を話す人々、南にラテン語を話す人々というように、ブリュッセルの森の中で言語境界線が出来たということだそうです。
こういう古い経緯で二つの言語、文化が存在するのですから、ガイドのKさんも、民族問題は難しいと言われたのでしょう。

この辺まで南下してくると、起伏があり、谷や丘が続き、変化に富んだ自然に恵まれてきました。
アルデンヌ地方(ケント語で高い森という意味)は、ベルギー国土の3分の1を占める丘陵地帯でベルギー南東部のナミュール、リュクサンブール、リエージュの3州のことを言います。
古代ローマの時代から交通・軍事の要衝として栄えてきたところです。
そのため、中世からさまざまな城や要塞が作られ、現在も貴族の流れをくむ人々が住んでいるそうです。
数々の古城が点在し、その一つのモダーヴの城を訪れました。

■モダーヴ城

13世紀のモダーヴ家からはじまるのですが、その当時のものが残っているのはごく一部で、多くは1652年から73年にかけてマルシャン伯がフランス様式に改築した城です。

橋の先に噴水が見えたので、これは〜と写真を撮ったのですが、後ろは衛兵の間ということでした。(^^;
やはり広いですね〜
その衛兵の間の天井です。
5代、32貴族の家系図と家紋が描かれていました。
この135平米の天井スタッコ彫刻は西欧でも唯一の作例だそうです。。
タペストリーや各種調度やモダーヴ城オリジナルのジアン窯ファイアンス食器のコレクションも豪華です。
右上の写真は色の違う木の細かい寄せ木作りの家具です。
箱根の寄せ木細工を思い出し、思わず撮りました。
これは礼拝堂ですね。
最近、「ベルギーの古城で結婚式を!」というツアー旅行があるそうですが、こちらでも結婚式が出来るというお話でした。
インテリアが豪華で、凄いです。
*こちらがお城の正面ですが、逆光になったようです。
前方、左右は広々とした緑に囲まれ、周りは個人の公園といった感じです。
*お城の裏を見下ろせば、60mの断崖絶壁で足もすくみます。
下に流れる川はオユー川で、石灰石で純度の良い水が流れ、水道局がこの川を買ったという話でした
これがお城の左サイドです。
この下に川が流れている訳で、下から見上げると断崖に建つ、フランス貴族のお城といった雰囲気だそうです。
要塞も兼ねた城の機能を見せてくれますね。
■ヴェーヴ城

これは写真撮影だけですが、8世紀頃造られた古いお城で、おとぎの国のお城の雰囲気です。
当初、城塞としてつくられたそうで、5つの尖塔が特徴的です。
その後、居城として改修され、城内には、当時の封建領主の生活ぶりを偲ばせる家具や美しい装飾品が展示されているそうです。
また、現在でも同じ一族がこの城の中で暮らしているそうです。
 

バスで移動中も森が広がります。
これまでの見渡す限りの平原を見て、なんとも羨ましいと感じながらも、やはりこういう木々一杯の森や谷を見ると落ち着くのは、山の国の日本人だからでしょうか?(笑)
こちらでは森の木を切り、薪にするそうで、松、くり、くぬぎと火持ちの長さも木の種類により違うそうです。
また、この6月は苺や木苺(フランボワァール)、リンゴ、ブラックベリーの実りの季節で、1年分のジャム作りをする時期だそうです。
ガイドのKさんも、子供達と森に出て、リンゴも野生の小さいリンゴでジャム作りをするそうです、皆自然の森が与えてくれる恵ですね〜。

ムーズ川沿いのディナンの街を通ります。
こちらは都会から1時間の距離で、避暑地だそうです。
この街は、アルトサックス(サキソフォン)の生みの親、アドルフ・サックスの生まれた街で、特産の銅細工を売る店が軒を並べています、またサキソフォン大会が行われるそうです。
次に見えるは城砦( La Citadelle)をバスで、下から見上げて通り過ぎ、橋を渡り対岸に出ました。
こちらかのほうが、街を守るシタデルが良く見えました。

■アンヌヴワ城

18世紀に改築された荘園領主風の館と傾斜を利用した小川や噴水、色とりどりの花が咲く花壇と庭園も自慢のお城です。

イタリア式庭園と、フランス式庭園の良いところを取り入れた庭園でもあるそうです。
全体にゆるやかに上り坂になっています。
この高低差を利用して噴水が作られたウォーターガーデンが特徴です。
その庭園を優雅な気分でゆっくりと散策します。

←こちらはかなりの高低差を利用した可愛い階段のような噴水です。
↑機械の力を使わず、土地の高低差を利用して吹き上げる噴水が自慢の、美しいウォーターガーデン。
扇形に広がる噴水は上の流れから押し上げられて広がります。
こちら、3分の1だけ写ってるのがお城で、広い庭越しに撮りました。
フランス風の大きなお城です。
マロニエの木を始めとする大きな木々が悠然と植えられ、沢山の水路が通っています。
オランダ・ベルギーと白鳥は良くお目にかかったのですが、こちらは黒鳥です。
こちらも気品高く、赤いくちばしが生えますね


この日は、2日目のアムステルダムの見学からご一緒している運転手の方は休日と言うことで、本日だけの新しい運転手さんでした。
まるで、「ハリーポッター1」の髭だらけの大男の先生のようでした。(笑)
プロレスラーのようで、ちょっと怖くて近寄れないような・・・雰囲気でしたが、この方が見かけに寄らず優しい方で、ムーズ川のほとりにバスを止めて写真タイムにしたり、日本のような路肩の苺店を教えてくれ、新鮮な苺を頬張りました。
そしてちょっと内緒にしておられたのですが、下から見上げるだけだったシタデル(城砦)に回り道して、バスで上ってくれました。
みんなをお驚かせたいから、ガイドさんだけに話して内緒と・・柄の大きいお茶目さんの嬉しいプレゼントでした。(笑)
城砦から眺めるナミュールの街とムーズ川の眺めは、温かい心と共に最高でした。


1050年に城が築かれましたが、現在の姿は19世紀以来のもの。山の高さは100メートルあるそうで、上はかなり広い広場でよくコンサートやイベントが行われているそうです。
もう7時を過ぎていたでしょうか、夕やみ迫る時間も止まったように感じました・・・↑左手側と、↓右手側の写真です。



食事

オランダ、ベルギー共にパンは美味しくて、沢山頂きました。
朝から、しっかり食べていますが、間食はまったくなく、昼間は観光で歩き回っていますので、とても健康的です。
1昨日、ブリュージュで本場のワッフルを食べたのですが、これも写真がなくて残念ですが、弁当箱のような大きさで(ノートサイズ)驚くのですが、それがふんわりと揚がっていて、さくさくと軽くて美味です。
こちらではザラメ入りの硬くて丸いリエージュ風とやわらかくて四角いブリュッセル風の2タイプあるということです。
ブリュージュにあったのはブリュッセルフ風で、バナナとアイスクリームのトッピングを選びました。
この注文をする時に、私がつい「ベルギーワッフル」と言ったもので、若い女性店員さんに??という顔をされました、私も即ここは日本じゃないと気づき、「ワッフル」・・・と言うと・・・通じました。
ベルギーへ来て、ベルギーワッフル以外に何があるというのか? と友人と大笑いです〜。(笑)

昼は念願のムール貝のワイン蒸しです。
量はたっぷりありましたが、貝の大きさは小さい方で、これもお値段によるかもしれませんね。
夕飯は古城巡りをした後、9時近かったでしょうかレストランでフランス料理を頂きました。 ホテルに入ったのは予定通り10時近い時間で、アルデンヌ地方を駆け巡った長い一日でした。

          

朝食・朝からしっかり食べます      昼食・ムール貝が一杯です        夕食・牛のデミグラソース風かな?

ブリュセルのホテルはこの部屋の窓の外はすぐに大通りでその先が駅という繁華街の中でした。
地理的に非常に便利ですが、人の出入りが多くて、ちょっと怖いな〜と、切に感じました。




2004.5 オランダ・ベルギー紀行6日目
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送