7日目 ブリュッセル→アムステルダム


いよいよ最終日です。
と言っても今日は観光があるわけではなく、一路帰路へと向かうために行動開始です。(笑)

まったく下調べせず白紙で来たのですが、現地在住の日本人ガイドさんや添乗員さん達のわかりやすい話で、より楽しむことが出来ました。
アムステルダムでは私より少し上の世代のガイドのYさん、昨日は4人のお子さんを育てられている現役主婦のKさんと出会いました。
運転手さんの思わぬプレゼントで、シタデル(城砦)の上から、ナミュールの素敵な街並みを眺めることも出来き、その帰路はひたすら高速道路をブリュッセルに戻る道のりでした。
高速道路と聞けばすぐ日本では料金所を思い浮かべるのですが、オランダでもベルギーでも無料ですから料金所などなく標識が立っているだけです。
その道中、ガイドのKさんのベルギー奮闘記と言いますか、その生活ぶりを色々と話して下さいました。
それを少々・・・(笑)



Kさんが東京の大学に通われていた頃、ベルギーやイギリスから剣道を習いに日本に来ていた方達を、やはり剣道をしていたkさんの先生の紹介で知り合い、その中で5ヶ国語を話すというベルギー人からいつしかドイツ語を習うようになったそうです。(笑)
その後結婚をしてすぐ出来た子供さんと3人で1年ベルギーで暮らし、ご主人がもう一度剣道の勉強をしたいということで7年間日本に滞在、その間2人の子供さんが生まれ1995年からベルギーで暮らしていて子供さんが4人となり、日本でいう高校生(女)中学生(男)小学3年(女)小学1年(男)で、上の娘さんは今17才と話されました。
その娘さんは日本での小学校経験があるそうで、ベルギーでは六・六制で中学が六年間あるそうです。
また、5月が学期末(学年末?)で課外授業と期末テスト(1年の総仕上げ)があり、だからいたる所で私達も小から(幼稚園ぐらい)大までの学生の集団に良く会ったのですね、本当に海外観光客と学生達で見学しているって感じでしたから〜。(日本も同じ光景はありますが)
その期末試験で赤点ならもう一度やって下さいと小学1年でも落第をするそうで、子供達にはごく自然なことでショックはないそうです。
娘さんもオランダ語が赤点で落第の経験があるそうです。
学校の種類としてはカトリック、州立、国立、市立とあり、都会では移民(イスラム教徒等)の方達も多く、勿論公立校に参加ですから、どうしても学校のレベルが下がり、そういうのを避けるためしつけの厳しいカトリックの学校に入れるベルギー人が多いそうです。(どこかの大都会の話と似ていますね・・・)
授業はオランダ語ですが、上流階級はフランス語で会話をするそうで、ついていけなくなると言っておられました。
上の大学へは、それぞれが自分にあった学校を選ぶそうで、弁護士はその方面の大学を医者はそちら方面の専門ということで、名門校というのはないということです。
これはガイドのYさんも仰っていました、息子さん2人とも、それぞれの行きたい道(大学や専門学校)を選び、授業料はタダで国費だと言われました。

18才で本人同士の意志で結婚、それまでは親の許可がいるそうで、これは日本も同じですね、お酒は16才以上から飲めるそうです。
娘さんのコーラス部の合宿では、先生はシャンペンを5本持って参加され、16才以上の子は堂々と飲むそうです〜〜。(笑)
Kさんのお話から年令を推定すると39才位だと思うのですが、ご本人は国際結婚をされている割には、凄く日本的で、こういう文化の違いにハラハラされているようです。
娘さんがボーイフレンドやガールフレンドを家に連れてくると、馴染みのボーイフレンドが最近激痩せで、お菓子を出してもジュースだけ飲んでいるので、「どうしたの?」と聞いてみると、彼は舌を出したそうです。
なんとそこにはピアスがしてあり、それが痛くて食べられないということで、驚いたそうです。(笑)
すると、今度はガールフレンドが上着をめくり、「私はこれよ」とヘソピアスを見せてくれたそうで、またまた驚いたと・・・。(笑)
16才までは親の許可がいるそうですが入れ墨をしている子もいるとか、大変驚いておられましたが、上の娘さんは幼少期に日本で育っているので、日本的だからと絶対的信頼を寄せておられました。(笑)
また、友人のパーティーにも行きたいそうで、こちらではガレージを使い外で12時半頃までやっていて、ベルギーは大らかだと言われていました。
友人と私は日本だって変わらない部分もあるよね、Kさんの中では日本はきっと9年前のままかしら?、ガングロ、汚ギャル、1〜2才の子を茶髪にしている姿を見ると、どう〜思うのかしら??なんて、呟いておりました・・・(笑)
きっと彼女自身が私達世代に近いのでしょうね〜嬉しいことです。
Kさんは、ブリュッセルとゲントの間に住んでおられるそうで、庭にはニワトリやアヒル、クジャクを飼い、裏は牧場になっているそうです。
この春の時期は動物の出産の時期でもあり、平原に牛や羊が子供を連れてのんびりと草を食べてる姿に良く出くわします。
子羊や子牛をみると、「可愛いい〜〜!」と感じるのは日本人の感覚だそうです、Kさんいわく、こちらの人達は「おいしそう〜〜!」と感じるのだそうです。(笑)
またその逆で、生きた魚を食べたり、皿に盛り付けたりということは絶対にないと。(笑)
雄1頭につきメス100頭と掛け合わせるそうで、子羊は母羊の母乳だけで育ち、雄の80〜90%は半年の内に食べるそうです。(^^;
半年まではラム、1〜2年がフォゲットで、2〜3年がマトンと言い、それ以上の羊はペットの肉になるそうです。(^^;
昨年、Kさん宅でも1万5千円で3匹の羊を買い、春に10匹の子羊が生まれたそうです、で母羊と子羊を1万5千円でで売り、その後も売る予定だったところが、イギリスで流行った病気で売れなくなり、ラムがマトンにならないうちに11頭のうち、10頭を農家に引き取ってもらったそうです。(大誤算!)
残った雄の名前付きのセルル君をおじさん(ご主人のお兄さん)が来てと殺(個人宅でするのは今はいけないそうですが、皆こっそりしているそうです)してもらい、それを長男はしっかり見学したそうです。
3番目の子は秘密のことなのに学校で皆に話したそうで、こちらは、もはやすっかりベルギーっ子!なのでしょうね〜(笑)
そのセルル君は冷蔵庫から小出しにして、48kgのマトン料理になったそうです。(笑)
また、近所の1人暮らしのおじいさんが亡くなられたとき、飼っていた羊や50羽のニワトリを貰ってくれと言われたそうですが、もうこりごりと思っていたら、ご主人が「ニワトリでも見に行くか〜」と出かけられたそうです。
その庭に放し飼いのニワトリがまた機敏で中々捕まえられなかったそうで、大格闘の末1羽を掴まえてきてスープになったそうです。
その後、大健闘されて、48羽までがスープになったそうです〜〜。(笑)
もう〜、皆さん大笑いです、嫌だ、怖い、ニワトリは卵を取るために飼うと言っていたKさんも、ちゃんとその恩恵に預かっているのですもの〜〜。
ほんにそれは自然の恵みですし、住むところに人間は適応していくのですね。
Kさんのご主人はベルギーで剣道を教え、この季節には、奥さんと同様に日本人の観光ガイドをして暮らしを立てておられるそうです。
Yさん、Kさん共に、日本女性の逞しさを、異国にて感じさせて頂きました〜。


ホテルから、3時間かけて出発点・スキポール空港へ戻ります。
昨日は丘陵のある地域でしたが、今日は平坦な大地をひた走ります。

バスの車窓からですが、スズカケの街路樹です。
もうたわわに実をつけているので、思わず撮ってしまいました。
ベルギーは街路樹が本当に見事で、マロニエが続く街路樹は壮観であると共に、あの大きなマロニエ(栃の木)の木がベル型ととても可愛いのですよ〜〜
全体を引きで撮らなければならないので、写真に収めることが出来なかったのが残念です。
日本の都心の街路樹は絶えず剪定をしなければならず、自然の形を見ることは困難ですが、こちらは道路幅が広く、電線はありませんし、信号は小型なので、素晴らしい並木道が続きます。

また、TVのお宝鑑定団?にでもなった気分で次に何が出てくるか?とベルギーを楽しませていただきました。
きっと色んなものを受け入れるとても友好的な国なんでしょう。

さあ、いよいよ国境超えです。
うまく撮れるといいのですが、バスの窓越しにチャンスを狙います。
撮れました!看板一つの国境越えです。
東京から西へ、ここから神奈川県です〜の県境の看板一つと同じです。
その写真をアップにしてみました、EUの☆が12個の中にネーテルランド(オランダの正式名)と書かれています。
これは自動車のナンバーの右横にも付いています。





これはワール川にかかる橋の上から撮りました。
もうすぐ先が北海で、風は強く、その風を利用する風車の現在版です。
豊かな水と強い風はオランダの特徴でした、そしてガイドのYさんは、その中でオランダ人はとてもつつましく暮らしていますと話されました。
何度もその生活振りを「つつましやかに、だけど合理的に」と強調されましたが、個人の家々も、街中も隅々までそれは綺麗に掃除がされていて、心の豊かさを感じることができました。
その分、ドイツ同様に、一般の人が働かない時間に働く公務員の姿を多く見かけました。
またNHKの放送は入るので毎日見ているそうで、阪神優勝の際の川の柵を高くするニュースを見て、「こんなにオランダは水路が多いのですが、誰が落ちても助けません、全て自己責任です。」と言われました。
言われてみれば、確かにあの沢山の運河・水路に柵を見たことはありませんでした、落ちても自分で這い上がる・・・。
もっとも子供の頃から水泳は仕込まれていますが・・・と仰っていました。
ガイドのYさんが、色んな意味でオランダは民衆の文化です、と言われた意味が分かる気がしました。(笑)
便利なものは取り入れつつも、例え古くとも己の生活様式を貫くということでもあるのだと思いました。
2人のガイドさんのお話から、どちらの国も上手く自然に寄り添い暮らしを立てている様がわかりました。

私達を最初に迎えてくれたスキポール空港に戻ってきました。
結局盗難にあった3つのトランクは出てきませんでした。
その後も、添乗員さんがホテル側と交渉してくれたのですが、ポーターがキーを持って中から出すというホテルはなく、部屋の外に荷物を置いてということでした。
結局、添乗員さんに交渉して自分達で出すことにしましたが、添乗員さんはしきりに”すみません”を繰り返しておられました。
私達もつい、ここの旅行社は自分で荷物を運ぶけれど、こっちの旅行社は全部してくれる等々品定めをすることがあるのですが、気をつけなければいけないですね、安全こそが最大のサービスだと思いました。
またその後のツアーにも何の支障も無く、3人の被害に合われた方達も、本当につつましく耐え忍ばれたので、私達もお気持ちを察しながらも、皆さんと楽しむことが出来たのだと思います。
ただ残念なことは、添乗員さんの最後の挨拶では、その後の荷物に関して一切触れられなかったことでした。
勿論当人達には説明がなされているでしょうが、このツアー客は誰でも同じ目に遭う立場にあったわけで、また集団行動ですから同じように心配もし心情を共有してきたのですから、その後の補償はどうなるのかキチンと説明して欲しかったと思います。(今後の旅行社選びにも繋がりますし)

まだ一つ難関がありました〜〜重量検査です。
飛行機の積荷は1つ20kgの制限付です、本日見送りのガイドさんが、口々に職員の方には「笑顔でパスポートを見せてね〜♪」「そうしたら、2〜3キロはおまけしてもらえるわよ〜」と周っていました。(笑)
私達も何度か持ち上げては、持ち上がるぐらいだから大丈夫と言いつつ、順番が来るまで心配でした。
重量オーバーで1万円ぐらい取られるそうですから・・・。
前の方は2〜3sオーバーを笑顔でやり過ごしていきましたよ〜(笑)
いよいよです、友人はなんと19・9sで、お見事としか言いようがありません。
私はといえば、19・4kgで悠々?のセーフでした。
やはり、 私と友人は高い物、重い物、大きな物は買わない主義?で、計算道理かしら〜?。(笑)
それに私は日本から6本のペットボトルのお茶を持ち込んでいたのでその分も空きました。
ミネラルウォーターはバスの運転手さんから買えば、ペットボトル1本1ユーロ(140円ぐらい)でした。
スーパで買うと1本当たりもう少し高く、半ダースになると割安と、余り日本と変わらない値段だったと思いました。
チップは料金にサービス料も含まれているので必要なく、ただ枕チップが50ユーロセント(70円ぐらい)、トイレはほとんどが有料で30ユーロセント(50円ぐらいかな)でした。

無事出国検査も済み、あとは飛行機の出発時間(14:40)を待つだけです。
右の写真は朝食です、これ以降4時近くの機内食までないというので、残りのお金で昼食を頂きました。
友人が「後は英語さえ出来ればね、頼むからね〜」と言うので、「そちらこそ、専業主婦に成り立てで時間はたっぷりですから、期待しています〜」となすりあいです・・・(¨;)
どちらかが、「まかしておいて〜!」となると心強い旅が出来るのですが・・・
そうだ、80才まで、まだ20数年あるのですから・・・これは値打ちがあるかも〜〜(笑)
もっとも日本へ帰ると、すぐに忘れてしまうのですが・・・

では、オランダ語で

Dank u wel(ダンク ユ ヴェル=ありがとう)

Tot ziens!(トートツインズ=さようなら)





追記・例の「フランダースの犬」の司馬遼太郎さんの見解です。(街道を行く35・オランダ紀行より)

・この「フランダースの犬」の犬が日本で生き、何故英国やヨーロッパで消えたのか?その不思議を考えてから旅に出られたそうです。(1986年に旅行)
作中ルーベンスを光りとして讃えるのに対して、町・アントワープを暗部として描いていると、ベルギーの平野を「牢獄のように重苦しい」とあるが、私にはとてもそんな風には見えない、そして作者自身の善悪や美醜についても激しい傾斜がある。とも書かれています。
そして肝心のところを「児童文学について考えることは、私の能力をはるかに超えていると」と書かれているのです。
その代わりにその専門である、大阪府立国際児童文学館の横川氏の言葉から書かれています。
「英米の児童文学の流れの中で、19世紀終わりごろから、年少者に自立を促す気分が出てきた。」と。ネロ少年は15才にもなってなぜ雄々しく自分の人生を切り開かないのか?ということのようです。
これまで子供達は自らの逆境に無抵抗だったけれど、作家達は「より生命力ある存在として子供を捉えるようになった。」

これは私も同じ疑問を感じました、この国の15才と言えば、身長は大人と同じぐらいですし、とても犬に牛乳缶を運ばせているとは思えません。 ですから、日本の映画、漫画でも、どう見ても10才前という少年に置き換えてありますよね・・・

・では、なぜ日本で愛され続けたのかというと・・・「日本は身を寄せ合っている社会だから」そして、パットラッシュは「主人に忠実だけがとり得の、いわば”忠犬”であるし、”恩返し”と言う忠義の動機まである」と書かれています


なるほどね〜(笑)そう言われてみれば、日本人の好きなパターン、いわゆる浪花節ということでしょうか・・・
ガイドさんたちのお話でも、子供(だけでないかも)の自立に関しては、日本と外国の間には隔たりがあるようにも感じましたし、やはりこれは子供達を取り巻く文化の違いということでしょうか。




2004.5 オランダ・ベルギー紀行7日目(おわり)
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