4日目   ロッテルダム→アントワープ→ブルージュ


昨夜の宿泊はオランダ第2の都市ロッテルダムのホテルでした。
ロッテルダムも貿易港として栄えた街ですが、戦争で爆撃を受け古い建物を失ったので、これまでの街並みと違い近代的な建築が並ぶ街でした。
ただこういう建築はどこででも(東京とか)お目にかかれる風景なので、印象には残らないのは仕方ありません。
今朝の荷物出しは、添乗員さんがホテル側と交渉して、各部屋の中にトランクを置いて、ポーターがホテルのマスターキーで開けて運び出しをしてくれることになりました。
ポーターの手間を考えると、どこのホテルでも出来ることではありませんが、やはり、これが最善でしょう。
それと添乗員さんの荷物もないということで、手持ちはかなり小さめのバックだけだったので、今後の私達の旅行への影響も心配しました。

本日はオランダから、ベルギーへ移動で国境を越えますが、今回はあっけなく走り過ぎます、そしてそこに立っているのは国名の看板一つでした!
4年前は検問所でバスを降りて一人一人パスポートを見せたり、手荷物を見せたりする国もあり、ちょっと緊張したのですが・・・EUとなりヨーロッパは一つになりつつあるという感じでしょうか・・・
通貨もユーロで使えるので、観光客は勿論便利です。
オランダを後にするので、道中添乗員さんがオランダの問題を5問3択で出してくれました。
最高得点の方には景品をということもあり、私達も嫌な思いを払拭する積りで、盛り上がりました。(笑)

質問


1、オランダ人の自転車保有数は一人何台?                  * 1台・1,5台・2台
2、結婚する時に、結婚届と誰の前でお互いの愛を誓う必要があるか?  * 教会の神父・親・役所の人
3、世界で一番背の高い国オランダの男性の平均身長はいくら?     *185cm・190cm・195cm
4、オランダ人のチーズを食べる量は日本人の何倍か?          * 5倍・10倍・15倍
5、アムステルダムのアパート暮らしの割合は何パーセントか?      * 40%・50%・60%



私の答え
@環境に優しいということで会社も推奨しているし、何しろ平坦な大地ですから自転車は最適です、私は最初1,5台にしていたのですが、友人が赤ん坊も一人分よ!というのがヒントになり、一人一台にして正解でした。

Aこれは迷った挙句当たり前に教会として不正解でした、役所の公務員の前で誓い合うと結婚が認められるそうです。やっぱりこの国は「神が創ったのではなく、人が造った」が大ヒントだったのですね、これでさらによく理解できました。(笑)

B私は迷わず、190センチを選び正解でした。
こういう国の人達とバレーボールでも競うわけですから、日本人も大変です〜。(笑)
ちなみに、女性の平均身長は184センチでした。子供の成長も著しくて中学生か小学生かわかりません?
道理でロッテルダムのホテルの洗面台が私達の胸の高さだったわけで、手を洗うには平気ですが、顔を洗うのには背伸びをしてようやくという感じで、友人と”屈辱的”だよね・・・と話したものでした。(笑)
またガイドYさんが、「アムステルダムにはレンタル自転車もあるので利用できます」と言われたので、日本のままちゃり族の私が友人に「いいわね」と言うと、聞こえたのかすかさず、「どうぞ、乗ってみてください、足が届かないと思いますよ、こちらの方は背が高いので、自転車もそれ様になっています」と言われたものです。(笑)

Cこれはまさに身長に関係があるのかもしれませんね、日本人のチーズ量は少ないとみて10倍を選び正解でした。

DこれはガイドのYさんが、オランダの住宅事情を話して下さったのがヒントで、最高率の60パーセントを選んだら正解でした。水上生活者がいるぐらいですし、1戸建ては高いと言われましたから、それも長屋のように隣壁が接し京都の様に間口が狭く奥行きの長い家が多いのです。

5問中4問正解が最高得点でした、ラッキーなことに私も4問正解でしたが、お仲間が4人もいるということで、4分の1の賞品になるそうで、ちょっと残念でした。(笑)
まもなく、ベルギー第2の都市アントワープに近づきました。
九州より小さい国ベルギーは、北のフランドル地方がオランダ語、南のワロン地方がフランス語という2ヶ国語が公用語となっている国です。


アントワープ (ANTWERPEN/ANVERS)



日本の旅行社のパンフに大体4割ぐらいは「『フランダースの犬』の舞台アントワープ」とか、「アントワープで『フランダースの犬』にも登場する祭壇画が飾られているノートルダム大聖堂」という風な紹介文をよく見かけます。
それほど日本では「フランダースの犬」が児童書や漫画、映画と有名で、この町を紹介するのに大変分かりやすいということでしょう。
ただこの「フランダースの犬」は英国の女流作家ウィダーがアントワープを旅行し1年半ほど滞在した時にこの町を題材にして描いた物語です。(1872年)
私達のツアーもアントワープの最初の見学地が「ネロとパトラッシュ」の銅像ということで、そういうものがあることに私も驚いてしまいました。
ただ、こちらでは、タクシーの運転手もバスの運転手も、その銅像も、物語も知らないということでした。
主に日本と韓国で有名になったそうですが、舞台となったベルギーでも、自国の英国でもほとんど知られておらず、20年前にようやくオランダ語訳が出されたそうです。
「ネロとパトラッシュはこの世に取り残されたよるべない身の上だった。」の書き出しから始まり、この町の誰一人として助けることなく「この世に生きながらえるよりもふたりにとって死のほうが情け深かった」と終焉に向かう、悲しい悲しい物語ですね。(帰国後新潮社版で再読しました)
確かに作者のこの地域への表現はきつく感じるし、最後の最後まで村人一人優しく接する者もいません・・・、この風土、風景、人々に対する愛着が感じられないし、ネロの悲惨な境遇を語るためだけの背景になっている様に思います、この辺が原因なのかも??などと勝手に考えてしまいました。(もっともルーベンスの絵だけは讃えてあります)
ただ漫画は幼く描かれていますが15歳と12歳(アロア)の少年少女の物語です。

     
「近年ベルギーで、動物を働かせるという習慣はないし、動物愛護が盛んな英国でもこの話は受け入れられなかったのでは・・・」と添乗員さんの説明でした。
なら何故その銅像があるのかが不思議でなりません・・・、勿論観光客目当て(主に日本人)と言うことは分かりますが。
その国で育たないのものはその国の文化とは言えないし、他国へ自分の国で流行ったものを文化として押し付けて欲しくないなぁ〜と、私は感じました。
最初その銅像は、大聖堂の広場に置くという予定だったのが、当地でこの物語は悲惨すぎると言うことで反対にあい、ネロが生まれた町とされているHobokenの観光センターの前に立てられたそうです。
自国の物や古い文化に誇りを持っているオランダと、そうでないものを受け入れてしまうベルギーとのお国の違いかな??とも感じました・・・
鎖国の間、唯一長崎の出島でオランダとの貿易が可能で、文化の交流があり、有田焼がデルフト焼きに影響を与え、ゴッホが浮世絵の影響を受けたのとは根本的に違うものだと感じました。(まあ日本もどっちかというと後者ですが・・)
記念碑は平成15年5月、大聖堂前に、ガラスにネロとパトラッシュが描かれたデッサンと石碑があります。(スポンサーは日本のTOYOTA社となっています。)
何でも受け入れてしまう日本・・・、私も?かしら、そう言いつつ写真を撮ってしまいましたから。(^^;


市内は観光バスが入れませんので、バスを降り徒歩で見学です。大通りは歩行者天国になっています。
凝った建物にも、デパートなどが入っています。
大通に立つ像↑
大道芸人がマリオネットをして道行く人を和ませています。
勿論お金を入れる帽子も前に置いていあります。
*アントワープを代表するバロックの巨匠ルーベンスの邸宅・アトリエ(1609年から)の見学です。 *こちらがアトリエで、 多才だったルーベンス自身の設計によるものだそうです。
*イタリア式中庭を家側から眺めました。
当時の上流階級の生活をうかがい知る事が出来ます。
*こちらは中庭から、アトリエ(左)と家(右奥)を眺めてみました。
ルーベンスの像が立つフルン広場です。
そして、ルーベンスの三連祭壇画が納められているノートルダム大聖堂です。
高さ123メートルの鐘楼、150年の歳月を費やして建てられた聖堂です。

この広場に上記の記念碑がありました・・・
「フランダースの犬」で説明するほうが分かりやすいのはやはり日本人だからでしょうか。(笑)
ネロがフランダースを連れて絵を見に来ていた教会がこのノートルダム大聖堂です。
そして、お話では、ルーベンスの「キリスト昇格」と「キリスト降格」は布を被せてあり、お金のないネロは見ることが出来なかったのです。
今は布は被せてありませんが、教会に入るのにお金がいります。
ルーベンスのような絵描きになることがネロの夢であり希望でありました。
しかしネロは公募の絵が入選せず、パトラッシュに与えるエサもなく、偶然アロアの父親が落とした財布を拾い、それをアロアの家に届けた後、この教会に向かうのです。
村人からも冷たくされ、食べるものも食べず凍てつく中をたどり着いたネロはこの絵の覆いを外して横たわり、そこへネロがやってきてひしと抱き合うのです。
その時月明かりというか雪明りというか、光はアーチから輝きこの2枚の絵を照らし、ネロは「とうとう見たんだ」と叫び「おお神様もうじゅうぶんでございます!」
クリスマスの朝、二人はそのまま命を引き取るのです。
 
それがこの2枚の絵です。
左手には 「十字架昇架:十字架につけられるキリスト」と右手には「十字架降架:十字架から降ろされるキリスト」があり聖書の中でのイエスが十字架にかかる物語が描かれています。
これもルーベンスによる「聖母被昇天」です。また、そのまわりにはこのようなステンドグラスが多くあります。

マルクト広場に面して建つアントワープ市庁舎
6世紀に建てられた、ルネッサンス様式としてはベルギー最大の建造物だそうです。
写真が暗くて見にくいのですが、広場の真ん中にブラボーの像があります。
昔悪さをする巨人アンティゴンを倒し、その切り落とした腕をスベルデ川に、まさに投げようとしているところです。
Ant(手)werpen(投げる)=これがこの地の名前の由来です。
市庁舎の右側です。
17世紀のギルドハウス(商工業の同業組合)です。
観光客を乗せる馬車をよく見かけました
市庁舎には各国の国旗が掲げられ、モザイク模様のようです。


食事



お昼は「ネロの銅像」があったホーボーケンで中華料理を頂きましたが、およそ観光地とは程遠い感じの町でした。
それもそのはず、この銅像を見に訪れるのは韓国人と日本人ぐらいな訳ですから・・、それにだから中華のお店が妥当だったのでしょう、とにかく野菜が一杯頂けたのは幸せでした。(笑)
アントワープの市内観光を徒歩でした後、バスでブルージュに来ました。
その中で、クイズの賞品としてワッフル菓子を頂きました。また外れた方は罰?として、当地の臭い(漢方風)というグミが配られました。私も頂きましたが、これは好きですね、香草の香りが強く少し苦いですが、脳の働きに良いそうです。 (笑)
また町の中心にあるホテルに到着後食事まで時間があったので町なかの散策をしました。
ツアーに参加して半分が過ぎようとしています、34人のツアーはやはり大人数で、添乗員さんの人数確認もいつも大変そうです。
ただ友人はグループの多い組から4人が2組、3人が4組、夫婦が4組、2人組が3組で合計34人と早々と内訳まで整理?出来ていたのには驚きました。
私といえば、相席した方とか話した方、後は興味の沸いた方しか覚えていません・・・(¨;)
今日のお昼はてっきり二組の夫婦と思われる陽気な4人組みと同席でした。
話が進むうちに、1組は夫婦で、後の男女は友人ということでした、この二人がお酒が強くて飛行機の時から水代わりに飲み干しておられた印象がありました。
その組み合わせは夫婦が飲み屋のオーナーで二人はお客と分かりました。(笑)
通常はもっと多くの人数で旅行をされるようですが、海外ということで今回はこの4人になったそうです。
夕飯もご一緒で、ベルギーはビールのメッカですから、最高の旅行地ですね〜(笑)
「おかわり、おかわり」と店員さんも盛り上がる賑やかなテーブルとなり、つられて私達までチェリービールを注文しました。フルーティーなビールで、やはり女性向きかしら・・・(笑)
また私が気になったグループは、ジャケットにジーンズ姿と若々しいし、トランクの積み込みの世話までされるのですが、年令が一番高いと思われる3人グループです。
アンネの隠れ家で、ガイドの方が「アンネが今生きていたら74歳です。」と言われた時に、背の高いその方が、私の頭の上で「私とそんなに変わらない!」とつぶやかれたのです。
はは〜ん、60代ではないようですね・・、一体いくつまでこういう旅行に参加できるものなのか?興味津々だからです。(笑)
 
 *今回の旅行はまったくの白紙で出かけました、これを書いてから読みたいと思って買った本が、司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの35「オランダ紀行」です。 その目次を覗いてみたら、「『フランダースの犬』のあとさき」という項目があるのです。やはり何故ヨーロッパで読まれないか?との説明をご自分でなく(私の能力をはるかに超えているとあります)、児童文学者に求めて書いてあります。最終日のページでちょっと触れてみたいと思います。(笑)      

             
朝・ヨーロッパ式でパン中心です      昼・中華料理(6人分です)              夜・フランス料理(鱒のムニエル)


 チェリービール(さすがビールの本場です、種類が多いです)


2004.5 オランダ・ベルギー紀行4日目
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