@ 人間・失格 −永遠に悩める美少年、その名も留加−  


   <概要>

    1994年7月8日〜9月23日 TBS 金曜日10時 (全12話)
    脚本・野島伸司   プロデユース・伊藤一尋
    演出・ 吉田健、吉田秋生、金子与志一   音楽・千住明
    挿入歌 ・サイモンとガーファンクル「冬の散歩道」「水曜の朝、午前3時」
    キャスト・ 赤井英和(大場衛)、桜井幸子(森田千尋)、加勢大周(新見悦男)
    堂本剛(大場誠)、堂本光一(影山留加)、横山めぐみ(大場夏美)
    荻野目慶子(影山小与)、斉藤洋介(宮崎信一)、黒田勇樹(武藤和彦) 他


   <構成>
    (演出)
第1話  イジメの法則     吉田健
第2話  仮面の友達      吉田健
第3話  禁じられた少年愛   吉田秋生
第4話  引き裂かれた絆    吉田秋生
第5話  逃げない勇気   吉田健
第6話  最後の手紙    吉田健
第7話  父の復讐 I    金子与志一
第8話  父の復讐II    吉田秋生
第9話  少年の亡霊    吉田秋生
第10話 残された標的    金子与志一
第11話 最後の対決     吉田健
最終話 明日に架ける橋    吉田健



 まずはじめに、「愛しの留加ーーーーー!」と叫ばせてください。
 光ちゃんドラマは留加に始まり、留加に戻るという位、私に取っては原点のドラマです。
 ドラマが脚本、演出、出演者の織り成す綾なら、それも最高の出来!しかも終了後何年経っても、心に残るというのはなんと言っても脚本の力でしょう。
 このドラマが留加を演じる光一君を見初める出会いとなった私の記念すべき作品でした。
 そして、このドラマがなければこれほどまでに光ちゃんに嵌ることもなかったかも〜。いえいえ、それは時間の問題だったでしょう・・・
 ただし、主人公ではありません。

 ちょっと前置きを・・・
 言わずと知れた、野島三部作(TBS)の一つで、'93の「高校教師」’94がこれ、 '95が「未成年」と、当時のテレビ界にも話題を投げ掛けた瑞々しい感性に溢れた野島伸司氏の作品です。
 ただ、野島氏の連続ドラマデビューは1988年フジテレビの月9ドラマ「君が嘘をついた」(プロデューサー=Pが大多亮、主演、三上博、麻生祐未)が始まりであり、その後1994年まで毎年連続して、フジの月9ドラマとして大多亮Pと組んで登場した脚本家でもあります。
 視聴率も初回作品以外は20%以上をキープ、「101回目のプロポーズ」「一つ屋根の下」等話題作が多いですね、当時から人気作家だったと言えるでしょう。
 それがTBSの伊藤Pと組むや、一見社会性が強く感じられるドラマへとなったようです。
 ちなみに、日本テレビでは、これも大変な話題となった「家なき子」も野島氏が持ち込んだと言われる企画担当作品ですね。光一君出演の2、劇場版も勿論そうです。

 「高校教師」での、聖職者教師の仮面を剥ぎ取った問題提起振りといい、妖しいまでの桜井幸子さんの高校生役、これまで欠かさず見てきた真田広之さんとの組み合わせでもあり嵌るべくして嵌った作品の翌年のものとして最大の興味を持って見ました。(桜井さんはこの3部作にすべて登場)
 始まる前から、太宰治の「人間失格」と紛らわしいから題名を変えるよう遺族から申し出があり、点を入れることと副題を付けることで解決と新聞報道でも話題となった作品でした。
ただイジメシーンの多さで始めこそ視聴率は伸びなかったものの、後半に向かって勢いが付いてやはり話題の作品となりました。
平均視聴率、19.2%、6話以降20%台をキープ、最終話、28.9%<ビデオリサーチより>

 ファン的には最初は剛君と光一君の配役は逆であったのが、1回目のオーデションで伊藤Pが当人たちを見て留加は光一君と決まったと言う有名なエピソード付きですね〜。(逆と言うか、決まっていなかった〜という感じにも取れるのですが、後の思い出として、伊藤Pが自ら語っています。勿論私も後に知るわけですが・・・)


   <ストーリー>

 社会人野球をやめ、ラーメン屋を営むために上京した衛は若い後妻ではあるが明るく振舞い息子の母親になろうと努める夏美と、明るく素直に育つ自慢の息子誠を有名中学修和学園中等部に入れる。
 新米教師森田千尋のクラスへの転入日に、兎小屋でのイジメを目撃しホームルームで発言することにより、誠へのイジメが始まる。
 誠が自殺した後、元の中学の女性友達涼から「僕は殺されるだろう」と書いた誠の手紙を知り、衛は一人真相究明に乗り出し、匿名封書から父の復讐劇がはじまる。
 そこに担任教師千尋、同僚教師、親友だった留加をはじめさまざまな人間を巻き込んで、人間の弱さ、悲しさ、強さ、愛を衝撃的に描く・・・・


   <留加と新見>

 いきなり、狂ったようになくセミの声と共に、兎小屋からタイトルがが始まります。
 兎のころがる死骸に注射器に赤い血、そして見つめる目!
 充分な問題提起ぶりですよね。しかもその後朝の学年会議で、新米教師千尋のクラスだと先輩教師に攻められ泣き出す。これもイジメの世界であるのでしょうか?
新見教師により救われるが、担当クラスでは気弱な和彦が兎殺しの犯人としてイジメにあうという千尋にとっても、切羽詰った現実から始まります。
桜井さん演じる千尋には前作のイメージから考えると、各所に大変なドジ振りで描かれ、前作との変わり様に唖然としましたし、それならその成長振りにと期待が沸くのでした。
 さて、留加の登場ですが・・・
 学級委員長として先生の報告に すーっと職員室に現れた留加は一般社会のいたずらや、受験勉強の世界とも超越した清楚で可憐な表情で現れ、正直大層驚かされました。
 ただ、本当にこんな顔の子がいるんだ〜という驚きと、まつげの重なりがアイラインを入れたようで、これは女の子なら将来化粧の手間は省けるし〜、しかし少し目じりに掛けて切れ上がり、この点は男の子の博多人形のようという第一印象でした。ただ子役ですし、それ以上の想いはなかったです・・・
 教室を案内するシーンは好きですね〜、どっからみても隔絶した優等生タイプで文学少年の留加と、草魂で土の匂のする秀才肌の誠とが、「頭が腐らないか〜」と話しあう二人には、ほのぼのとした友情の芽生えと将来の希望へと満ち溢れた、それはそれは温かい場面だからです。
 そして職員室を出て行くときの二人を見送る、新見先生のこの表情〜、普段は大変優しい好青年のこの変化が、これから起こりうるドラマの展開の主軸ともなる人間性・・・ つまりそれは人間失格か悪魔か?と言う問いへの道しるべとなるのです。
  このドラマは初回から、あらゆるところに、以降に繋がる伏線が敷かれているので、どの場面も逃さず見なくてはいけないドラマですよね・・・
どうか、光ちゃんだけを追わずに、全編しっかり見ていただきたいものですね。
 「高校教師」同様、職員室に色んな生き様を背負った人物を登場させると共に、今回は少年達の中にも,それなりの問題を背負った人物として登場させています。
 医者の息子であり、注射器をがあると言うことで犯人としていじめられる気弱に見える和彦は「守ってくれるね」とお金を出す始末・・・・
 誠は以前の中学校での経験を元にクラスの中の力関係も知らぬまま熱弁を振るいます、その正義感と熱血漢は父親譲りでしょうか、上手い配役ですね〜。これゆえに、はじめの配役が逆と言うのが信じられないのですよね、これ以外にないでしょう〜。
 その誠も継母との小さな確執という悩みを持ちます。
 留加自身は、クラスに入り込むでもなく、不思議な存在感を漂わせています、川沿いでの会話に、「北朝鮮の核の脅威かい?君の悩みさ」とか、「僕の場合はもっと絶望的なものなんだ頭の中に蝿がいるんだ」と早くも不思議を発揮させると共に、千尋を撮リ続けたり、血染めのシャツで母親を驚かせる姿にすでにその尋常一様でない問題を感じさせます。
 しかし、この見るからに可憐な留加とこの憎っくき新見先生との間には多くの共通項を見出すことが出来るのです。
そしてそれはまるで新見の幼き頃は留加のように、では留加のその後は新見へと言うことでしょうか??
 二人して、「頭の中に蝿がいる」と言う言葉に現れるように、それは必ず疎外され、存在感のない自分に対して、誰からも愛されたことのない自分に気が付いた時に発せられる言葉だったのです。
 それこそ、バルザックやバイロンの作家や詩人のように、又これらを読んで孤独を噛みしめていたような日々・・・。
 そしてその代償を求めるかのように、新見の留加へと向かう許されない愛、そして留加は誠へとその対象は向かうのですが、この二人には大きな違いが・・・・
 その決定的な違いは、新見にとっての留加はまるで幼き日の自分なのですよね。
 それは留加のすべての心を読みそこに自分の姿を透視した極端な自己愛の世界といえるかもしれない。
 それに反し、留加のそれは、生まれて一度も愛されたことがなくそれこそ愛と友情の見極めさえ出来ないがごとくのはかなげな愛情なのです。
 決して自己愛といえるものではなく・・・
 しかし、新見はその自己愛の対象の留加にさえ拒否され、自分否定に繋がるかのごとく、その狂った刃は留加からもすべてのものを奪おうとするのです。


   <親と子供>

 クラスの真ん中、最後列に位置する留加、時々映し出されるアップの表情は、画面を引き締めますよね。白い制服に映える綺麗な横顔、黒目がちな瞳と対比して際立つ白目。物言わずして、語りかけますよね。
 話題になった、プール脇でのキスシーンも、これはただもう〜留加の姿、顔が本当に綺麗で・・・後日彼らが「汚いーー!」と騒ぐほどのものでもなく、ただ正常な感情からすれば確かに汚い行為であり、間違いではないのですが・・・とにかく、綺麗な画面でした。。(笑)
 少年愛としても内容的にはそれほどの意味はなく、センセーショナルな話題づくりかな・・という感じが当時しました。
 そして、誠が転入してから、心通わせた日々の柔らかな笑顔も消え、靴箱に投函された母の写真からは一層曇りがちで、常にストイックな表情で誠にも接する留加。
 母親の合成写真が誠の教科書に挟まれているのを見つけるや、孤独の底に・・そして例の「僕の頭に蝿がいる」で一転して切れ、冷酷にも自分が犯した罪を誠へとすり替えていく行為は 何よりも彼の心に占める、母親の姿の大きさを表しているのでしょう。

 この頃には、誠への執拗且つ陰湿なイジメはエスカレートするばかりで、子を持つ親としても、一般視聴者としても目の覆いたくなる場面と、親や教師にはまっーたく気付かせない行為には、日々現実問題として起きている事実としても胸の痛む思いで見つめるしかなったですね。
 しかも良い子であればあるほど、親に心配を掛けまいと気遣うのですから・・・
 更に、誠に関しては、どういう運命の悪戯か、本屋で盗癖のある新見の現場に遭遇するは〜体育教師の宮崎にはストレスのはけ口として使われるは〜・・がんじがらめの脱け出せない巧妙な罠に掛かってしまうのです。
 誠の届かぬ心の叫びは・・・・
 「僕の唯一のこの安らぎの場さえも次第に暗く閉ざされて行く・・・」
 「何かが僕を殺そうとしている・・・」
 そして1話で、身体と体温で感じ取った父の「お前に何かあったら、俺の命、くれてやってもよい」の絆がもろくも崩れ去り、誠の向かう先はただ一つ・・・・。
 それは、母の墓しかないでしょう〜。(6歳まで愛してくれた母のところです)
 このシーンは涙なくして見ることは出来ませんね・・・。
 そして父の「元の学校に戻ろう〜」で、泣き出す誠を抱きしめる。。。ドラマといえども・・『それしかない!』と私は叫んでしまうのです。
 先生のカメラを盗み級友を傷つけたその行為を、誠の言葉ではなく教師のほうの言葉を信じるのなら、これ程の息子の急激な変化を認めるのであるのなら、逃げない勇気ではなく親として逃げる勇気を見せるべきでは・・・と。
 いえ、これは、ドラマでしたね・・・つい熱くなりました。(笑)

 そして前半のクライマックス、逃げない勇気を振り絞って登校した誠を待っていたものは・・・逃げることも出来ない絶望の淵!狂ったようになくセミの声と共に兎の様に追い詰められ、一度は親友と認めた留加の本性を知るのです。。
 このシーンは「うたばん」で、伊藤Pの思い出のシーンとして紹介されましたね。 ただ注射器を持った留加に誠を追い詰めることは出来ず、それこそ本性を表し、注射器を持ったのは気弱とみられていた和彦でした・・・。
 手摺を乗り越えた誠に留加は手を差し伸べ、優しく「こっちに来い」「落ち着くんだ」「この手に掴まれ」と・・。
 「よせ!」「誠〜!」と叫んだ留加の顔は今でも忘れることは出来ません。
 誠は手摺を離し 落下していった・・・、ただ、その心は”僕はとても嬉しかったんだ、もう一度お父さんとキャッチボールができたから”とつぶやくのでした。(涙)
 さらにそのまま、留加のほうは一層絶望の淵へと追いやられるのです。。

  そしてここからの留加の演技がまた、素晴らしいですよね〜、ええ、”愛しの留加〜”と叫ばせてください〜(笑)
 大切なものを追い詰めた留加の動揺は隠せず,黒目がちな眼は宙を彷徨い・・
 ここへ来ての和彦の落ち着きは彼の言う人生の破滅を避ける策なのか、級友さえも驚き、力関係は一変し、留加にいたってはもう人形のように虚ろい、怯えるしかないのです・・・。(カラオケルームでのシーン)
 そして、私が最高に綺麗なシーンとして記憶しているのが、自室に引き篭もり、心配する母を追い出し「なんでもないんだ」「母親づらするのはよしてくれ!」そして「なんでもないから、少し一人にしてほしいんだ」とドアの前で泣くシーンです。。
 この世に、こんな綺麗なものがあるのか〜という感じで速攻嵌りました。(笑)
 人は1場面の1シーンにこのように引き寄せられることがあるのですね〜。
 頭を抱え込んだ両腕の隙間から、流れ落ちる涙・・、その美しき斜め顔・・・。
 子供と言えども美しい〜、まさに、嘆きの天使ですね〜。。絶品です!!
 ただ、私の記憶にはもっと長いシーンとして残っていたのです・・・ビデオを見直して、えっ、これだけ〜と、、勿論、その後はストップモーションです。(笑)
 この時点で、まだ変化?しない桜井さんはすっかり忘れ、、大きく留加へと興味は集中していくのでした。。(笑)

 その後、誠の死後にその衝撃の大きさから精神的バランスを崩した留加が学校を休む間に、ようやく新見の自分への愛、そして誠への嫉妬を知ることとなるのです。。
 次第に、新見の罠か?と気付いた留加は制服に着替え、新見の部屋へと忍び込むのです。
 もう〜この時点で、留加を演じると言うよりか、何かが乗り移ったと言う感じですよね〜、はまり込んでの演技に引き付けられました。。
 も〜後戻りできない・・落胆と困惑に打ちひしがれても・・真実を知るしかない・・何かに取り付かれたように探し回る姿〜、新見との対決、新見の許しがたい行為と自分の侵した罪の深さに・・・言葉もなく床についた両手見つめる・・・その丸い黒い瞳・・・
 新見の「死ぬといい」さらに、ナイフを頬にあて「留加、君は死ぬんだ」ーーー

 心配して探しに来た母と千尋に、「誠と話をしていたんだ」と言い、教室を飛び出した留加は屋上で首筋にナイフを当てる・・・ このシーンも涙なくして見ることは出来ませんね・・・。
 「お願いだから、ママを困らせないで」に「ママ、だから僕は死ぬんだ。それで、もう困ることはないでしょう?僕が生まれたことを喜んだ人はいなかった。お祖母さまも、そしてママ、あなたも、周りのすべてが僕の存在を恨めしく思っていたんだ、僕はずっと一人でした。落ち着ける場所はどこにもなかった。そう、どこにも・・・・」
 絶望の淵に立つ留加のこのセリフに・・・・この空虚な叫びに・・・思わず私は答えてしまう。。
『泣かないで、留加! いえ、泣きなさい留加!!幼き日に捜し求めたであろう母の胸、目の前にあるではないか〜〜その母の胸で、思いっきり泣くがいい!』と・・・しかし留加の言葉同様、母もかつて二人の関係を「愛された覚えのない息子と愛した覚えのない母でした」と話す。。(涙)
 誠は帰る場所を知っていた、父の胸で泣くことも出来た、楽しい思い出もあったけれど、留加には戻る場所はどこにもなく、泣きつく胸も、思い出すらなかったのです。(涙)
 そして、何よりも留加自身の魂が解放され、分かり合いたい、生きたいと感じはじめたのは誠と出会ったことから・・・「僕は生まれてはじめて呼吸をした」と・・。
 誠を失い、「また、暗闇に一人取り残されるのは死ぬことよりも怖い」と、・・(涙)
 またこの留加の語り口調が・・切なくて・・切なくて・・悲しいのです。。
 何故に、小与はすべてを捨てて、この息子を愛してやらなかったのか?男に抱かれる前に、作れなかった親子の絆のために、すべての時間と労力を惜しまず費やしてやれなかったのか!? ・・・(成長までは、ほんの一時では・・)
 人は人として生まれても、人として愛されて育たなければ人を愛することも出来ないし、人は子を産んだからと言って親になれるものではなくて、愛して育ててはじめて、親となれるということでしょうか!?三つ子の魂百まででしょうか。。
 はい、ドラマでしたね〜ついつい・・熱くなります ・・・(笑)


   <社会性>

 自殺に追い込まれた息子誠の友人涼に宛てた手紙を受け取った衛は、見慣れた息子の字とその内容に愕然とします。
『僕はきっと殺されるだろう、ある時は猫の爪で弄ばれる小さな鳥のように、ある時は腹をすかせた狼の群れの牙で・・・』
『僕は詰められ、いたぶられながら、そして確実に殺されるだろう・・・彼等によって・・・・』
 翌朝衛は誠の骨を抱え校門に立ち生徒や先生から真相を求めようとします。息子を死に追い詰めたものは何だったのか??悲しみは日毎に、深い懐疑とまだ見えぬ敵に対する深い憎しみに変わっていくのです。
 こうしてドラマ後半は許されざる憎しみに煮えたぎる父の愛はすでに法の壁を乗り越えて、復讐劇へと進展します。衛は匿名で送られて来た写真の息子のように、宮崎をプールで殺し、更にその送り主でようやく突き止めた真の敵、新見に迫ろうとします。すでにそれは人間失格として。
 ようやく生徒たちの口から真実を知り、新見教師の婚約者千尋は、次第に行動と共に成長します。誠の手紙を読み、独自に生徒たちに当たり、真実を追求し法の力に委ねましょうと衛にも説くのです。
 最後は衛が追い詰めた新見の首に手をかけ、締め上げる寸前のところで「その人を殺さないでー」と助けるのです。それは、婚約者の新見への言葉ではなく、これ以上罪を重ねてほしくなかった衛への言葉でした。そして決別の時、新見の「人間が獣となって相手をいたぶる」瞬間を写真にした、それこそ狂気のコレクションを千尋はシュレッダーにかけ新見から去ります。。
 そうして、大クライマックス!千尋が辞表を提出し、体育館での退職の挨拶となります。泣かせて頂きました、このシーンに来るまでのドジで疎い千尋さんの演技だったのでしょうか?見事に成長し、胸のうちを全生徒に向かって訴えかけます。
「大場誠君を殺したのは、ここにいるみんなです。」・・・中略・・・「みんなが生まれたことだけで、もうとても素晴らしいことなの。生きてることだけで素晴らしいことなの。自分自身の存在に早く気づいて。素晴らしい自分の命と同じように、友達の命も素晴らしいことに気づいて」「自分を愛するように、友達も愛して!」生徒がどんどん消えていく中・・・パラパラと拍手が起こリ、戻ってくる生徒が、一人、二人・・、十ニ人の生徒が残り「続けてください。まだ生徒は残っています」。
 素晴らしいシーンでしたね、心底訴え掛ければ、この熱意、真意は必ず通じる、例え最初は少しでも・・それが真摯に生きるということでしょう。。
 その後、新見は何者かの手によってホームから線路に突き落とされます。この手は誰かと話題になりましたよね。。神の手か!と・・そう許せないその行為、人間性に、全視聴者の裁きの手だったのかも知れませんね〜そうでしょう〜、私も断じて許すことが出ませんもの〜!!
 こうして、誠親子の家族愛、千尋と新見との恋愛、新見と留加、留加と誠、さらに留加親子の問題も入れ、三つ巴、四つ巴の関係を同時に進行させながら、最後には一つにまとめ上げ・・7年後の姿として、千尋が小学校で子供たちと共に元気に過ごし、そして衛は刑期を終え夏美と息子学の元へと帰っていくのです。明日に架ける橋、それは誠がもたらしたと言えるのかも、ーたとえば僕が死んだらーとして・・

 そして、はじめに書いた<まるで新見の幼き頃は留加のように、では留加のその後は新見へと言うことでしょうか??>それは、NO!と言うことです・・
 留加は精神的バランスを崩し、全てを忘れ赤ちゃん返りをしてしまいます。それは決して新見のような醜い大人にはなりたくないと言うことでしょう。そして又それは再生の道が残されたと言うことでしょうか。やっと気づいた母親が「はじめからやり直します。母親として、自分の息子と」。良かったね、留加!
 そして、それは永遠に悩める美少年のままなのかもしれません・・・プロデューサー様、脚本家様綺麗なままの留加でありがとう〜、そう永遠に美少年のままですよね〜、時にはあどけなく・・・(笑)永遠に悩める美少年、その名も留加ーーーー!と叫ばせてください。

 同じその年(1994)の暮れ3日間に渡って「人間・失格」が完結篇として放映されました。その最後に、川辺に佇む母小与と車椅子(確か)に座る留加が映し出され、誠は僕を許してくれるかな?(確か)(まだ許してくれないよね?かな)と、つぶやくのですよね。これは、その後の留加の様子を知りたいと言う視聴者に答えたものなのでしょうか。

 この後半の父の復讐劇に入ってから、私は前年(’93)に実際にあった「山形マット殺人事件」を思い起こさせずにはおれませんでした。それは。イジメによりマットに巻かれ逆さまの状態で窒息死すると言うむごいものでした。はじめ中学生13〜14才の7人がその行為に参加したとあったのですが、その後それは事故だったとして前言を翻します。無念の父親がその後一人一人に当たり裁判に訴えるというものだったと思います。とても似ていると思いました。。
 前半での陰湿なイジメといい、野島さんは余程丁寧な資料集めをされたのかな?と言う印象を受けましたが、御本人及び伊藤Pさんのコメントでも一切取材はせず、社会派ドラマのつもりもないというものでした。言われてみれば、確かに野島作品は社会的な問題を多く取り入れながらも決してそれらに方向性を持たせたり、解決への糸口を探し出すものでもなく、一事象として、時には際物として描かれることもあるのです・・・
 その後の多くの少年事件等が示したように、またアメリカでは早くから心理学者が問題としていた「行為障害」のある子どもは、いじめをすることが多い。「行為障害」とは暴力・盗み・動物虐待・過度のけんかなどを繰り返すと言う行動を通して、「感情が冷たい・他人の苦しみを共感することが出来ない・社会的ルールに従って行動できない・他人と愛情をもった関係を結べない」という精神的な障害を示す。こうした子どもが、そのまま大人になった場合には「非社会性人格障害」になるという。(小学館『おかあさん塾』 ’97秋号)
 まさにぴったりで驚いてしまいました。このドラマに限っては、先見の明があったのでしょうか、今みてもこのドラマは多くのことを語りかけているように感じます。そして留加の心の叫びを持った子がいるのでは・・・新見のような狂った狂気をもった大人がどこかに潜んでいるのでは・・と思ってしまうのです。作り手の元を離れ、ドラマは又生き続けるような気がします。


   <あとがき>

 長文お付き合いありがとうございました。
このドラマでは、ど〜しても若い方と私たち世代では、同じ感じ方もあれば、又違う感じ方もあるはずと言う視点で書き始めました。これも一つの取り方と思ってください。桜井さんを見るはずだったドラマから、なんと留加を得ると言う大収穫でした。(笑)
 このドラマ後、難しい留加役をこなした光一君が、この役を解って演じていたのか?それとも監督さんの言うよう演じて、それでもあのように嵌って演じることが出来たのか?と言うのが、ずーっと、出来れば本人に聞いてみたい位の疑問として私の頭に残りました。(笑)
 その後1年半、レンタルビデオのおまけで、愛らしく「こんなこと、こんなことする人ではありません」とジェスチャー付の説明に・・・あっ、この子は解っていない!と知りほっとしたものです。(笑)
 あの心情が解れば怖いものがありますよね、似ても似つかぬ明るい笑顔で幸せそうな子でした。と同時に、それなりに演じてあの世界が作れるのだと感心させられました。やはり、光一君が演じた留加だからこそ、ここまではめられたのでしょう。
 又当時の印象として、ニキビ面の普段着でいると、その辺の子と変わりがないのに(失礼)ひとたび制服や柔道着と言うように,普通の者には没個性となる様な服装では際立って目立ち、そのオーラさえ感じるということです。実にミステリアス!(笑)
 勿論、キンキも知らず、ましてや誠を演じる子役がその相方とは知る由もなかった当時の私でした。その後、光一君が多くの変身もの(ニ面性を持った)の役を、剛君が数多くの伊藤Pの作品に出続けるというように二人にとっても原点となったドラマと言えるでしょう。
 数年後、私が惚れた嘆きの天使のあの角度の映像を、Mステ確か1月、ハピグリ(?)を多くのJrと風船に囲まれて歌いだす瞬間にキャッチ!勿論白の衣装・・・お〜留加!と叫ぶおばかでした。(笑)                                     
おわり
  

ドラマの部屋  家なき子


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送