E ハルモニア〜この愛の涯て−緑の木々から蒼い海へ−
BGM:エルガー「愛の挨拶」
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<概要>
◆ 1998年7月11日〜9月12日 日本テレビ系 土曜午後9:00から
◆ 原作:篠田節子「ハルモニア」
◆ 演出:堤幸彦 倉田貴也
◆ 脚本:小原信治 ◆ 音楽:見岳 章
◆ 撮影:唐沢 悟 ◆ チェロ指導:山本裕之介
◆ 監修:堤 幸彦 ◆ プロデューサー:櫨山裕子
◆ 出演者:堂本光一(東野秀行)、中谷美紀(由希)、手塚理美(深谷規子) 矢田亜希子(山岡保子)、伊武雅刀(山岡教授) 深水三章(中沢医師)、きたろう(警部補) アニ・アズナヴォーリアン(ルー・メイ・メンドーサ)
◆ 主題歌 「愛と沈黙」 歌:少年隊 作詞:康 珍化 作曲:中西 圭三・小西 貴
【全9回】 1998/07/11 第一楽章 「出逢い」 1998/07/18 第二楽章 「君の意志」 1998/07/25 第三楽章 「由希の音」 1998/08/01 第四楽章 「奇跡」 1998/08/08 第五楽章 「メッセージ」 1998/08/15 第六楽章 「失われる夢」 1998/08/29 第七楽章 「君が呼んだ」 1998/09/05 第八楽章 「君が生きるために」 1998/09/12 最終楽章 「そして海へ・・・」 |
はじめに
私はこのドラマより、原作本との出会いの方が先でした。 その著者篠田節子にはNHK・BS放送で流された「女たちのジハード」を見て、大変興味を持ちました。 これは、1997年の直木賞作品で、女性5人のそれぞれの生き様を描いた作品で、そのさまざまな姿が、今の女性を取り巻く社会制度に対する聖戦として描かれると言うドラマだったと思います。 「ハルモニア」はそのすぐ後の作品(1998,1,1)であり、迷うことなく買い求めたものでした。 これは、「女たちのジハード」とはまったく異なるミステリアススな作品で驚いたものです。 「ハルモニア」読後に、櫨山Pによる、主人公光一君と中谷美紀さんでドラマ化を知った時は落雷脳天直撃!?なんと言う偶然!!と叫んでおりました・・・!!(笑) その後、テレビドラマ化決定と新帯を締めた「ハルモニア」が、4月に発売の「絶対音感」(最相葉月)と共に、本屋に並ぶ姿が見受けられるようになりました。(後に映像付きとなる) これには、眩しいかな頬もゆるみにっこりと、本屋で眺めるのが楽しみとなりました・・。(笑)
しかし、この大人なドラマ(主人公は30代半ばと29才ですから)、しかもいっぱしの演奏家でもあり、20人以上の生徒を教えるプロであり、その上で成り立つ”音が人を食う”という内容です・・・。それは当然大人の世界であり、エロチックさにも溢れており、これを19才の光一君のしかも学生と言う秀行に、どのように脚色されて行くのか?大変、興味が湧きました。 そして、超能力とSFXを想像の世界から、どう映像化するのか?(そういう点ではまさに土9向きといえます。土9に関しては、家なき子2のページを御覧下さい。) 更に、音楽ドラマとして、出演者がチェロ演奏をどう演じるのか?大変に興味が沸くところです。 毎回のことですが、私イカリの独断と偏見で書かせていただきます。
<プロローグ>
前述の不安をふっ飛ばしてくれたのは、この1話の完成度の高さでした。 目にしみこむ緑に、青い空、キャンパスに描かれた1枚の絵のような画面から、流れるチェロの音、そして、青年期に差し掛かった光一君・・・。 それは、眩しいぐらいに、お似合いではありませんか〜!!(笑) 音楽学校といえども、なんら一般のカレッジと変わらぬ現代っ子の学生の中にあって、一人愁いを含み、何かを背負い込んでいるちょっとディープな雰囲気の秀行がよく出ていますね・・・。 そして、これまでトレンディーとは言いませんが、青春ドラマで今風娘っ子を演じてきた中谷さんが、これは感情を捨て、由希に徹した好演で、役に不足はありません〜、楽しみです。 更に、この音楽ドラマと言っても過言でない、重要な楽器チェロは、弦楽器の中ではコントラバスに次ぐ大きさですが、外人オーケストラがアンコールに答えて、チェロをくるりと回して答える様を見るにつけ、愛嬌さえ感じ、大変親しみの感じらる楽器ですよね。 しかも、伊武さんが、チェロは女性の身体の様と言われたように、よく締まったウエストの女性を抱くようと例えられます。 さしずめ、光一君は抱き寄せると言うよりか、抱きつくと言う感じが、私には強いのですが・・・、そこも、可愛いのですが・・・。(笑) また、その光景が素晴らしく似合っていて、とても俄か演奏家とは思えず、素敵なチエリストに仕上がり、うっとりとさせてくれます。 それはまた、これまで書いてきた彼の手の演技も、たっぷり見ることも出来るのです。 弓を持つ手、弦を押さえる指、聡明な額にかかる髪、伏せた目、斜め横から映る絶品なお顔、愁いを含んだ瞳と・・・、どれもチェロを奏でるのに最高の組み合わせではありませんか! これぞ〜まさに芸術!! それが見れるだけでも、このドラマは値打ちがあるというものですね〜。(笑) はや〜、熱くなりすぎで、これでは前に進みませんから、さあ〜行きましょう。
両親がなく、病気の弟を抱える秀行は、生活のため、ワンレッスン2万円と言う割のいいバイトとして、由希(21才)のチェロ指導を承諾します。 由希が音は聞こえても言葉を理解し得ないのは、最初の遭遇で知っていましたが、初指導の秀行の初々しさは、この人のとても素直な人間性を感じさせてくれます。 由希は深谷先生の言うように、会話は通じなくとも、音には敏感に反応を示します。 調律されていないチェロを弾きこなし、秀行は早くも「絶対音感の持ち主」と絶賛します。 そして、由希に相応しい楽器を持たせるべく、連れ出し、友人から50万を借り、チェロを買います。 残された由希が街を彷徨いでる細かい由希の描写・・・、臨場感溢れる撮影ですね。 その言葉の通じない由希へ届けと弾く秀行のチェロ、そして、再会を果すシーンへと引き込まれるように展開していきます。 戻ってきた由希に対する秀行の表情は、後悔と安堵感を併せ持ち、早くも何かを予感させる深い演技ですね・・・ 「由希!」と呟き、思わず抱きしめる秀行・・・・ 「僕の音が届いたことを言葉を持たぬ由希はその温もりで僕につたえた・・・僕は確かに由希を感じていた」と・・・・つぶやく秀行・・・・ 言葉を交わさずとも〜〜、二人の心は・・・チェロの音が呼び合い繋げたのでしょうか・・・
少々性急な展開なのですが(会った2回目で50万のチエロを買い与えたり、抱き寄せたりと・・・、秀行がそういうタイプの人に見えないだけに)、この1話のみ完結でも成立する内容は原作とはまったく別物の秀行を描き出すのに成功していると言えるでしょう。
しかし、この物語はここから、最初に戻り、話は始まるのです。 「彼女を知らなかったら、今僕はここにいることもなかっただろう」と・・・ 綺麗な映像ですね〜、光一君にとっての無敵の気品の白が映え、その表情と共に・・・切なく今後の展開を語りかけてくるようです。
<アンダンテ>
秀行が最初に教えた曲が、今このページで流れている「愛の挨拶」*です。 出逢いの曲としてなんとピッタリの選曲でしょうか・・・。
*この曲は、イギリスの代表的な作曲家エルガーが、ピアノの生徒だった妻のアリスに贈ったそれこそ、愛の贈り物となるピアノ曲です。日本人にも馴染みのエルガーの曲として、行進曲「威風堂々」や、イギリスの第2の国歌と呼ばれている「交響曲第1番」があります。
秀行の起用は大成功でしたね、音楽によって、心癒される由希の表情は、優しく微笑みます・・・輝きをもって・・・。 それは、物言わず、世の何事にもまったく無反応の由希が見せた、生の存在そのもののようでもあります。 そして、秀行も柔らかい笑顔を見せます。 それは、保子を乗せた車で、ニッコリと微笑み言います・・・ 「音楽は人の心を動かす力があると言うのを二度感じた」と・・・、 一度は子供の頃初めてチェロを弾いた時、そして今回と話す秀行の解放された心は、本当に音楽が、チェロが好きなことを物語っていますよね、これが秀行の本質と言う感じがしました。
チェロの音により感情を表した由希は、それのみでなく不快と感じるものにはことごとく反発を示します。 それは秀行以外の何ものをも受け入れない強い意志のようでもあります。 迷いにより遠ざかる秀行を、ひたすら待ち続ける由希は、あの日の街角の秀行のように、自分の意思でチェロを弾き、呼び続ける姿でもありました・・・ そして、駆けつけた秀行はそれに答えるように、「由希はよく頑張ったな・・・」血染めの手を握り、後ろから抱きしめ涙流して「また一緒に練習しよう」と言います。
しかし、由希の不思議な力は容赦なく、不快と感じるものに襲い掛かります。 秀行を求め続ける由希のそんな想いを知るはずもなく、秀行は由希から離れ、守るべき存在の中に自分の身を置こうとします。それは由希の伴奏を引き受けて怪我をした保子や心臓の病持ちの健二のいる、今までの温もりのある場所でした。 更に自分の目標であるジュリアード音楽院留学に向けてのオーディションを受けます。 白いシャツに黒パンツのいでたちの秀行はそれだけで絵になりますね、更にチェロが加わり、チェリストの雰囲気を漂わせています。 弾く曲はパガニーニ*の主題による変奏曲のテーマと1番と7番です。
*ニコロ・パガニーニはイタリアのヴィルトゥオーゾ(名人演奏家)と称され、その超人的な演奏技巧をもって一世を風靡しました。 彼はヴァイオリンの新しい技法を次々と編みだし、きらめくような効果を創りあげました。 親しまれている曲としては「ラ・カンパネラ」を含むヴァイオリン協奏曲、24曲のキャプリース(今回この変奏曲がドラマで使用されています)、ギター独奏や室内楽の作品も複数あります。
更に、天才ルーメイ・メンドーサがビデオと来日で登場ですが、やはりパガニーニの変奏曲を弾きます。 試験当日、秀行のチェロからは情熱的なパガニーニが響き渡りますが、突如狂いだし、秀行の脳裏をかすめたものは・・・、朝、深谷先生から電話で、「由希は貴方を待っている」と伝えられた由希の姿でした。 秀行は集中心はおろか、もう〜自分の正体さえつかめないという感じでしょうか・・・狂うテンポにメロディー・・・、そこで、恩師山岡教授に打ち切られます。 試験会場から出た秀行が車の中で、迷いを吹っ切る描写は綺麗ですね、ハルモニアのテーマ曲・透明感あるピアノ曲の流れる中、この日退院する保子をすっぽかし、由希の待つ「泉の里」に向かいます このオーディションから再会にかけては、前半の名場面ですよね〜〜〜、 「由希・・・」とつぶやき、哀切な表情で歩み出ます・・ 騎士がしゃがみ込んで、挨拶するように、「元気かい?」と、尋ねます・・・ なんと言う温かい言葉でしょうか! そして、花が開くように、綺麗な笑顔を返す由希!!美しいですね〜〜! それに思わず微笑み返す秀行・・・キラキラと目が輝きを増し、素敵です〜。 その間にあるものは・・・何の邪念も含まぬ心の解放と喜びだけがあるのですよね〜。、 間違いなく、由希だけに聞かせる秀行のパガニーニ、そしてそれに答える由希のチェロ・・・ はまり行く秀行・・・ゆっくりゆっくりと、ゆるやかにそれは由希の元へ・・・
アヒルの卵が孵ったとき、その雛は最初に目にするものを親と思い、ひたすら後を追うと言いますよね、まるで由希と秀行はそういう感じでもあるのでしょう・・・。 チェロを介してではありますが、秀行には素直に心を開く由希〜。 しかも、秀行にしても、恋人(彼女以上と言うことで)の保子から受けるキスのぎこちなさに対して、なんと自然に由希を抱き、涙して抱き寄せることが何度も出来るのでしょうか・・・? あの車でのキスシーンは、本当は、いや光一君に櫨山Pが仕込んだ罠?なのですが、本来は頬にキスすると言うものだったそうですが、上手くかかりましたね〜。(笑) 素で驚いているところが、純情な秀行が良く表らされていて・・・、女性陣の勝利ですね〜。(笑)(えっ、純情なのは光一君なのかしら?)(爆) 恋人保子は早くから女の直感でしょうか・・・、由希と秀行の関係を見抜いていますよね。 それに対して、秀行は「由希は天才なんだ!由希にはチェロしかない!俺がいないとチェロを弾かない、それだけだ。」と言います。 男のエゴでしょうか?? いえいえその次元にこの話を下ろしてはいけませんね〜。(笑) ただ音楽が本当に好きな秀行は、事実彼自身の思いはこの時点ではそこまでの自覚だったのかもしれません。
<モデラート>
人は所詮、この世に一人で存在し得ない限り、複数の人間関係を始めとする繋がりを持ち、それは又色んなしがらみともなって生きていかざる得ないのですよね。 そういう点では、他からの制約も影響も受けずに、自分の秩序の中にのみ暮らして来たのが由希だと言えるでしょう。 その由希が、求めた人間関係は秀行に向けてだけのようですね。
そして、由希を巡る関係としては電気治療をしたと中沢医師は負い目を持ち、更に、電極で脳の一部を焼いてしまった深谷先生は、自分の残りの人生を由希に捧げると言う思い込みの強さです。 それは、由希に対する償いでもあり、その後は一心同体のようにして7年間由希に付き添ってきたのです。 由希の音楽の才能に気付き、チェロの先生として秀行を雇ったのは彼女自身の考えでした。 また、精神科医のプロでもある彼女は、医師としての発表を直前に控え、秀行が由希から遠ざかっていた間、もう一人の天才ルーメイのビデオを由希に見せます。 その音楽性に惹かれる(天才が天才を呼ぶかな?)由希はたちまち、ルーメイを自分のものとしてしまいます。 秀行が由希に対して求める真の音こそ自分の感情であるに対して、深谷先生はコピーでも感情の表現とする食い違いはありますが、由希が秀行を求める以上、研究発表に際しても、秀行の協力を必要とし、それは大成功となります。 由希のチェロは多くの人に感動を呼びますが、それは単にルーメイのコピーとなった由希の姿と秀行は見抜きます。 この頃、由希は睡眠薬を飲みすぎて死亡したルーメイの生まれ変わりとして、大層な脚光を浴びます。
森の木々の前、深谷先生は、由希の脳を殺したのは私だと秀行に告白し、そして、ここまで感情を表せるようになったのは、神の力、奇跡だと言います。 そして、秀行に壊さないで欲しいこと、さらに協力を求めます。 この場面の秀行のアップも、またたまらなく美しいですよね、愁いを帯びた瞳は深みを増して苦悩します・・・。 真の心の解放を願う秀行は由希から「ルーメイを追い出して自分の音を取り出して見せる」と決意するのです。 由希に真の音を取り戻すために、秀行はバッハ*の無伴奏チェロ組曲第一番を選びます。
*ヨハン・セバスチャン・バッハは、1685年にドイツで200年に50人近い音楽家を拝する家系に生まれ、バロック時代を代表する偉大な作曲家です。オルガン曲、ミサ曲、カンタータや受難曲(マタイ・ヨハネ)など、教会絡みの作品を多数残す一方で、管弦楽組曲 (G線上のアリア)、ブランデンブルク協奏曲、平均律クラヴィーア曲集、無伴奏チェロ組曲などの珠玉の名曲を産み出し、「近代音楽の父」と呼ばれ、後生の作曲家たちにも大きな影響を与えました。
しかし、相変わらずルーメイのコピーの由希はこの曲を弾こうとはぜず、演奏会の主催者側である事務所により秀行は首となります。 秀行は僕には才能はないし、オーディションに落ちるし、由希のようなコンサートなんて夢のまた夢、出来の悪い先生だったけれどと由希に話しかけ、お別れのチェロを弾きます。 「これが僕自身の音、弾き終わったら寂しいけれどさよならだ・・・」 由希一人のために弾く秀行、誰の音でもない、秀行自身の音・・・バッハの荘厳な曲を奏でます・・秀行から目を離さない由希、そしてその目に溢れる涙は頬を伝って幾筋も流れ落ちます・・・ 秀行にのみに見せる由希の感情、それは別れの悲しさがまるで分っているようですね〜。
少々と言うか大層驚きの行動に出るのが、保子の父であり、秀行兄弟の親代わりでもある山岡教授でしょうか・・・。 教え子の秀行には、真の音ハルモニアは神の音で理想でもあり、コピーとは程遠いと教えながらも、興行事務所に折れ、自分が由希のチェロ指導者となり、由希の天才性のみならず、ルーメイのコピーとなった由希の妖気というか色気にも惚れ込み手を出してしまうのです。 ルーメイなり切りの由希や、山岡教授を誘い込む由希を演じる中谷さんは、上手いですね・・ 由希が不思議な力を使って、秀行に助けを送り続け、ようやくそれを認識し始めた秀行は、 「俺が君にとって、特別な存在なら、俺に答えてくれるよね」 と、由希の生まれ育ったであろう海を探し当て、秀行も一歩前に進むことを決意するのです。
なんとしても由希からルーメイを追い出すとして・・・、嫌がる由希を強硬手段に出ます。 「誰かが傷つかなきゃ弾けない音なら、俺が傷ついてやる!」 後には引かない秀行に、これまで求めに求め続けた秀行に対して、由希は不快と感ずる別の力を使おうとします。 中盤での大見せ場ですね〜〜。 秀行の身体に電気が走り、ガラスが割れ、風が舞い起こり・・・、それでも止めない秀行は・・ その身体が宙に舞い叩きつけられます。 さらに叫び続けます・・・、「俺を殺してもいい〜、自分の音を弾いて見せろ」と・・・ その瞬間、海の映像が広がります。 そして、奇跡か!!? 荘厳な響きで、バッハの無伴奏チェロ組曲1番が由希のチェロから広がります・・・。 「それが君の音だ、君の心だ」と叫ぶ秀行、倒れる由希・・・。 心臓マッサージをし・・、人工呼吸をする秀行は・・予想に反し由希が秀行を守るために、その力を由希自身に向けたと理解し、「ちくしょう〜〜」と叫び抱きしめます・・・。
秀行を取り巻く関係は、由希を知ってから、最悪の方向へと向かいます。 さらに、秀行の定まらぬ心模様に動揺し続ける保子に健二・・・。 また、その2人の行動に振り回される秀行・・・。 秀行自身が由希への気持が何なのかを量りかねているだけに、キッパリとした態度が取れないまま、紆余曲折、右往左往と心も身体も磨り減らして行きます・・・。 由希の病院から、自殺寸前の保子を追って線路に、そして、由希のコンサート会場から、さらに倒れた健二の病院へ、また由希を探しにと駆けずり回る秀行のなんと姿勢の悪いこと・・・。 肩にのしかかる重圧に耐えかねているようでもあり、まるで悪いものにでも取り付かれ彷徨う姿でもありますよね。 これは光一君の姿勢ではありませんからご心配なくね、彼が秀行を表現する演技ですから・・上手いですね〜、微塵も幸せなんて感じられないですから・・・。(笑) 最悪の結果は、健二の自殺でしょうか・・・、そこまで持っていかなくともと感じてしまいます。 この中盤だけでも、ルーメイは自殺とも取れる死、保子も自殺を図ろうとするが寸前で救う、そして健二が・・とオンパレードではありませんか。 折角手術も成功したのですし・・・、命の安売りで、お涙頂戴はもう〜良いのではありませんか? でなければ、病死で充分だと思います。 それだけ秀行に重責を負わせなくとも、また、それ故にアメリカ留学を考えるのでしょうが、それでは友人同様、山岡教授におんぶに抱っこですか?とこちらも言いたくなりますので・・・。
深谷先生に「由希は貴方が好きなのよ、だから貴方のことをかばったのよ・・」と聞かされ、秀行自身も由希が自分を呼ぶために映像を送ることを認識します。 公演後誘拐された由希の居場所を、由希が送り続けた映像により突き止めた秀行は、一人犯人に立ち向かいます。早くも後半に入ってすぐの見せ場です。 ルーメイになり切り弾き続ける由希、迫る犯人に、突然怒り狂う由希の力・・・ 立ちすくむ秀行の目の前で、犯人は由希の力により、窓から落ちて行きます・・・。 「由希わかるか?俺がわかるか?お前の心、まだ生きているか?」、 それに答えるかのように、由希のチェロから、バッハの無伴奏チェロ組曲1番が流れます・・・。 これは、きっと秀行に答えた、由希の会話なのでしょうね・・・。 「由希教えてくれよ、俺はお前が好きなのか??」(やっと自覚しようとします・・・) 秀行は由希の頬に手をやり、その手に由希が手を添えます・・・、由希の両目から溢れる涙!! もう〜、立派に会話が、愛が成り立っていますよね・・・。
そして、後戻りできない秀行は・・・更に速度を速めて前に歩むしかないでしょう・・・
<アレグロ>
このドラマは、チェロの音色に酔うと共に、独特のカメラワークと人物の配置の画像、画面の横にアップで写る光一君の綺麗な顔と、視聴覚的にも楽しむことが出来ます。 1時代前のようにワンカメラで、角度の違うシーンも全て取り直すと言う映画のように手間を掛けて作られた作品です。 チェロを奏でる音が芸術なら、愁いを含み、哀切の瞳を潤ませる光一君も芸術〜 また、秀行と由希のシーンもともかく美しいですね・・、中谷さんとの熱演が光ります! もっと見ていたいと思うのですが、すぐ場面が変わるのです、それはほんの一瞬、秀行にのみ見せる由希の表情だからでしょうか?
由希の誘拐事件に、警察が加わったことによって、由希を巡る人物の葛藤が一層深まります。 元々、由希が感情を取り戻すことに反対だった中沢医師は、とうとう由希の力が人に危害を持ち始めたことを恐れ、手術で感情部分を取り除こうとします。 更に、自分で由希の力を試し、命を落とします。 深谷先生は由希がすでに、自分を認識できなくなったことに落胆しますが、秀行だけは認識できるのではと(自分のエゴですが)秀行を会わせます。 秀行が初めて由希に声を掛けた木立の下で、今は体力も衰え車椅子の由希を押しています。 「お前がいなくなるのに堪えられるかな?好きだよ由希」と、この言葉を初めて言いましたね。 由希の表情の変化に気付いた秀行はコスモスに目をやり手渡すと・・なんと・・・微笑む由希・・・それを見詰める秀行は、このとき、はっきりと認識するのです〜。 由希は以前の由希ではなく、しっかり感情を表す心を持った由希と感じ取ったのです。
それからの秀行の行動は一直線です、これまでのように迷うことなく、自分の行く道を選びます。 感情部分の脳を削除する手術の朝、由希を連れ出します。 それは、由希に心がある限り、一緒にいよう、2人でいようと語りかけるのです。 由希の体力の衰えに、俺にしてやれることは一緒に死ぬことかな?と崖っぷちに立つのですが、その直前、由希は秀行に海の映像を送ります。 秀行は「弾きたい、心を取り戻したい、俺に最後まで諦めるな」と伝えていると理解し、ここで死んでも意味はないと思い留まります・・・。 「最後まで見届けたい、俺のチェロで描いたお前の人生の果てにある光りを!お前と一緒に見てみたいんだ」 口移しで、水を飲ませます。
ここから見せ場が連続で続きます。 由希を助け出した倉庫で、秀行は、犯人の残したビデオからヒントを得て、由希からルーメイを抜き出そうとします。 ルーメイでないことを理解するのだと、由希自身の姿をビデオに写して見せます。 このシーンが凄いのですよね〜〜。 右の頬に最初、ルーメイが写り、次に左頬に由希自身の姿が写ります、それは由希の中での葛藤そのものでもあるのですよね。見事な映像です〜! クロスしあう二つの像・・・、どちらが勝つのでしょうか??風が舞い〜、由希の超能力が・・ その瞬間、秀行の行動を予想した深谷先生がまた由希の力を使わせて、死に一歩地近づいたと叫びます。 もう迷うことなく進む秀行は、あとを付けて来た刑事にナイフをかざし、由希を連れて逃げます。 今度はミステリーからサスペンスタッチです、カーチェイスのシーンは、スリルと若さを感じますね・・・面白いです〜。(笑) その間にこれでは由希は死に近づくと意を決した深谷先生は秀行の行為を誘拐と警察に告げます。 追いつ追われつ、辿り着いた会場で、あと一歩というところで、警察に取り囲まれます。 包囲網の中、秀行の左足が打たれ、倒れ込む二人に迫る警察・・・ 「来るな!まだ終わっていないんだーー」 「由希の望みなんだ、弾きたい!俺どうしても叶えてやりたいんだーー」力の限り訴える秀行、見るほうも力が入ります・・・。 秀行の差し出す手に由希が手を伸ばします・・・、感情のない者に、こんなことが出来るでしょうか?ひたすら、どこまでも由希は秀行を求め続けるのです・・・ その姿に、かつて深谷先生は由希にかまけ、熱のある息子を死なせてしまったことを重ねます。 あの子はこのように私を求め続けたのかも、愛する者を失うという同じ道を辿ることは出来ないと。深谷先生は「由希が自分の意志で彼と一緒にいた」と誘拐を取り下げ、2人を助けます。
由希は会場の舞台に上がります、場違いな登場ですが、2人にはチェロとピアノがあれば良かったのでしょう。 秀行は今度こそは、由希が人と合わせて演奏が出来ると自信に満ちています。 ピアノを弾きます、それに答える由希は、「愛の挨拶」をチェロではじめて合わせます・・・ 気持ち良さそうに弾く由希です・・・ まさに由希がその命に代えて奏でる、秀行との愛の合奏です。 秀行の「気持ちいいだろう〜」に返す、由希の返事は・・・ 由希自身の音、バッハの無伴奏チェロ組曲1番・・・そう生命の賛歌ですね・・ 唖然とする聴衆、涙ぐむ深谷先生、山岡教授一人だけが、これぞハルモニアと拍手を送ります。 2人にとってのハルモニア、それはハーモニーの語源である、「調和」を、つまり魂と魂の通じ合いであり、それこそ真の音だったのではないでしょうか。
秀行を好きで好きでしょうがない保子は、会場から去る秀行の背中にナイフを突きつけて、「この子から秀行を奪う。好きなんでしょう、もうはっきり認めてよ?」と言います・・・、 「好きなんだ、俺には、もう由希しかいない」真の秀行の心を知って、去る保子、この言葉で吹っ切ろうとします。(切ないけれど理解できる女心です・・・) 会場に入る前に、深谷先生に、「どうしてそこまで出来るの?愛しているの由希のこと?」と尋ねられた時、秀行はこう答えました。 「わかりません〜。こんなに誰かに必要とされたことはない、俺それに答えようとしている」と・・これが真実でしょうね、確かに秀行の取った行動はそうでしたから、ただそれを説明しても、そのときは保子も納得がいかなかったでしょうから・・今だから秀行は答えることが出来たのでしょう。
突き進む2人・・・ そして、海へ・・・
<エピローグ>
2人は、由希が秀行に示したあの海で、2人きりで過ごします。 由希の命の灯火が燃え尽きるまで、秀行は優しく付き添い、チェロを奏でます・・・ それは2人にとっても、至福のとき・・・求め続けた最高の時間でしょう・・ 何の会話がいりましょうや?何の贅沢がいりましょうや?そこにあるのは、ただ二人だけの時間が流れれば・・それで良いのです・・・、こうなるのがもっとも自然だったのですから。
このドラマを見はじめていくうちに、画面が、緑の森の木々から蒼い海へと映像がかわりますよね、しばしば出てくる3本の大きな木、そして、由希が求める海の画像と、また森へと・・・繰り返し! 私は、それらを見ているうちに、こんなことを考えました・・・ そう〜、これは生命の循環そのものではないかということです。 40数億年前、原始地球が誕生して、その後、冷えて地表が固まると、大気中の水蒸気が一斉に雨となり原始の海となります。 更に、他の星から降り注ぐ隕石が、命の元のアミノ酸をもたらし最初の命の誕生となるのです。 こうして、物質は全てこの海から生まれたのです・・・。 海の水は蒸発して、雨となり森を育て、太陽の光りで光合成を行い栄養分と酸素を出し、生きています。そしてそれはまた植物連鎖を繰り返し、海に帰るのです・・・。 それ故に、母なる海、父なる大地、森は恋人とも言われるのです。 また、人(哺乳類)の母胎は内なる海(命を生む)とも言われる訳ですよね〜。 海の波の音は、母胎の音と同じです・・! 由希は母の元へ帰りたかったのでしょうか!?生まれたところへ・・・ それは手術される前の自分の姿でもあり〜、生まれたままの姿でしょう〜。 つまり、それは自然に生き死ぬことでもあるでしょう・・・ それ故に、秀行も、由希が自然に生きること、感情を表現すること、生の喜びを感じること、 それらを人間としての真の姿と捉えたのでしょう・・・。
命の尽きる寸前、秀行は由希を負ぶって海を眺めます・・・ 秀行は「もう〜、夏も終わりだな、寒くないかい?由希。」と尋ねます。 由希は最後の力を振り絞って、秀行に言います・・ 「ありがとう」 そして、そのまま、命尽き果てるのです〜 由希を抱えながら、涙落とすシーンは綺麗ですね・・・、 打ち寄せる波に身を任せ・・・、秀行、綺麗過ぎです〜〜
秀行は「確かめたいこと・・まだ、わからぬままです」と先生達の葉書に書いていましたね、 由希は喜んでいましたよ〜、そうですとも、由希はありがとうと言ったのです。 秀行のお陰で、自分の本当の姿を取り戻すことが出来た、ありがとう〜と私にはそう聞こえました。 そして、チエロと共に荼毘に付し、その灰を、ケースにしまい海に帰してやります・・・。 もっとも自然でありたい、自然に生きたいと欲し、望んだ由希の願いを叶えてやりました〜。 海に灰を撒き、秀行は叫びます! ゆき〜〜、ゆき〜〜、 レクイエムですね、このシーンが、このドラマでのオープニングとして毎回登場するシーンです。 まさに、愛する人を海に帰す、愛の鎮魂歌・レクイエムのシーンです・・・、 狂おしいぐらい哀切な表情が、失った悲しみの大きさを表しているのでしょう〜、感動的です。
そして、二人の愛の形は、一体なにだったのでしょうか? 恋愛と呼ぶには、余りにも純粋・・、しかも透明・・・ もしかして、親子関係でしょうか?・・・ はじめから、秀行は優しく抱きしめ、温もりを伝え、しゃがんで目線を下から持って目を見て会話をします・・、専門家、介護者顔負けではないでしょうか・・・ 何故できるのでしょうか? 秀行が親でしょうか?いえ、弟の面倒をみましたが、そこまでの経験はありません・・ では、由希が母親?・・・。 どうでしょうか、でも「家なき子2」で見せた母子関係に似た感じを受けますよね。 「わかりません〜。こんなに誰かに必要とされたことはない、俺それに答えようとしている。」これに尽きるのでしょうか・・・究極の人間愛でしょうか・・・
そして、ラスト・・ 最初で最後の彼女の音は、海の波にさらわれることなく秀行の耳に残っているのです・・・ 耳に石をあて、海を眺める秀行・・・女の子に求められるまま石を渡し、その子に答えるように・・画面左で、秀行は世紀の微笑みを口元に浮かべます・・・ この吸い込まれるような、不可思議な微笑みは何を意味するのでしょうか?
この微笑みはモナリザを超えましたね〜私はこれこそ、謎の世紀の微笑みと感じました〜。 オーバーです、でも言わせてください〜、絶品ですよ〜(笑) これは由希に続き、後を追うという決意と言う人もいます。 私は、絶望の果てに見る一縷の光り、それは生きるという光りだと思います。 由希をチェロと共に送り出し、彼には何も残っていません〜 でも、人は一人で生きるにあらず・・・、由希と奏でたハルモニアのように、真の人間の喜びを感じる生は、人との調和で生まれるものなのです。 由希にとってのチェロ、いえ秀行がそうであったように、すでに秀行はこの少女と対話をしたのですから・・・。 とにかく、0から生きるということでしょう! 生きるというか、生かされるということは、何億年前から、地球で綿綿と繰り返されている命の循環、万物の生の営みの一つに過ぎないけれど、人は喜びを感じることが出来る最上のものなのです。 それは、緑の森から蒼い海へ〜〜と繰り返しながら・・・
このドラマは、まさにぴったりの「愛の挨拶」で始まり、情熱のパガニーニで盛り上がり、荘厳なバッハで高みに至りという音楽ドラマでしたね〜〜。 そして、最後の曲は、カンタータ147番より「主よ、人の望みの喜びよ」バッハ作曲、 これがいいでしょう〜〜〜。(笑)
<あとがき>
「ドラマ考」を書くに当たって、私は各ドラマに関する書き込みを一応チェクをし て、出来うる限り独自のものを書くように心がけています。 そして、今回のドラマ考は、3つの楽曲を軸に展開したいと考えていたのですが、そ ういう取 り上げ方していたところがあり、これは残念、変更せざるを得ませんでした。 秀行の由希にたいする心の動きを中心に、音楽表示であるアンダンテ・モデラート・ アレグロの3項目に分けて、由希へとどんどん傾いて行く秀行の心模様を軸に展開す ることにしました。 由希にとって、数少ない交流場面であり、出来る限り秀行の言葉をそのまま取り入れ て、変遷する過程が分るようにしました。
また、生命循環(食物連鎖)に関しては、高校時代、「諸君、書物43ページを開けよ」 と これ教科書のことですが・・・(笑)、白衣を着た年配の生物の名物女性教師がいたの です。 授業が、いつも教科書から話がそれて、とてつもなく広い世界へと漂い出るのです。 その時の興味深い話がヒントで、ハルモニアの最初が森で始まり、最後が海で終わる のですよね、そして、由希を海に帰すとなると・・・、これしかないと〜〜(笑) 制作者側がそう意図したか、どうかは知りません、全て、わたし流の考え方です。 (笑)
そして、まことに上手く原作から、19才の秀行のドラマにと脚色されたものと、感心 しました。 原作での秀行は、先にも書きましたように、演奏家であり、生徒を教えるプロです。 由希の抜群の才能を、見つけ出し、勿論2〜3年の月日を掛けて、凡人の秀行には出来 ない理想の演奏家としての天才由希を育て上げます。 そこには秀行の羨望や嫉妬や、野望も理想も全てが塗りこめられていて、由希が真の 音を弾くことによって、命は削られ、その由希自身を失うということは、秀行の理想 (天才)も全て失うということで、結局、破滅するしかなかったのです。 ドラマの方は、本当に音楽が好きで、優しい秀行が、由希と出会い、チェロを介して 会話をするうちに、最初は、楽譜も見ずに絶対音感で弾ける由希自身の真の音を求 め、途中からは由希の人間としての真の姿を求めるように変わって行きました。 手術をすれば、感情はなくても、由希はもっと生き続けることは出来たでしょう、喜 びや悲しみの感情を持ってこそ人間らしい生き方と秀行は判断しました。 若い彼には、どう生きるか、どう由希を生かすか、真の音=真の姿こそが大きなテー マになったドラマだと言えると思います。
原作では、世界的天才チェリストはルー・メイ・ネルソンとして登場ですが、由希が 聴く彼女のCDはバッハの無伴奏組曲全6番までのうち5番までが演奏されているもので した。 秀行は、ルー・メイでさえ弾けなかったこの6番を、バッハを崩し、テンポをずらし て弾くルー・メイ流ではなく、天才由希の音として奏でることをもくろむのです。 (大変興味深い展開です) 又、この原作本は光一君が30才になった頃に是非演じて欲しいぐらい、マニアック ではありますが、面白い作品です。まだの方で機会がありましたら、是非一読をお勧 めします。 ドラマでは、ルー・メイ流に、パガニーニの曲を当て、聞き分けやすくなっていまし たね。
最後に上げた「主よ、人の望みの喜びよ」は私の大好きな曲です。 緑の森から蒼い海へ〜〜、そしてそこに人間が加わり・・・この曲でしょう〜〜〜 (笑)
おわり
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